東京直撃か、とも思われた台風は、太平洋岸を西に移動し、やはり中四国方面に抜けて行った。そちらの地方では、豪雨被害からの回復もままならないのに、今度は台風ということではあるが、自分は「これが面白い」と言われてもらった本が、あんまり意味分からないから読んでみ、と言われて受け取った本を読み始めた。
それは、ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)の書いた「服従(Soumission)」という小説で、訳者は大塚桃というちょっと変な名前なのだが、この本の翻訳以外にはその名を検索できないので、きっと本当は、その名前もまたフィクションなのだろうと思う。
さて、この本は何が問題なのかというと、それはいかにもありそうなフランスの未来を活写した、という点であり、それはフランスのみならず、アーリア系の人々が作り上げた現代文明がいかに終焉を迎えているか、を示す点で預言的な内容を持つように思われる。
まだ4割くらいしか読んでいない時点で、気の早い書評をはじめると、その本筋は、2022年のフランス大統領選挙でイスラーム同胞団という政党が社会党と連立政権をつくるところにあるのだが、まだそこはこれから読むので、批評できない。少なくとも2015年に出版されたこの本の世界と、我々が実際に見ている方のパラレル・ワールドとの大きな違いは、我々が見ている方の世界では2016年にエマニュエル・マクロンが「前進!」という政治結社をつくり、2017年の大統領選挙で当選したことである。そして、フランス国内のイスラム教勢力は、いまだにイスラーム同胞団というような政治結社をフランス国内で結成してはいない。
ただ、この本が面白いのは、そういう仮想的な政治の動きとは別に、主人公の生き方には、アーリア系フランス人の疲労困憊した姿があまりにもリアルに、それはひどく意地悪にということでもあるが、描かれていることである。
物語は、主人公がソルボンヌ=パリ第四大学で博士課程の口頭試問を受ける2007年から始まっている。19世紀フランス文学、それもジョリス=カルル・ユリスマンスについて彼が書いた論文は、非常な好評を得て、彼はパリ第三大学の教官として奉職することになる。ユリスマンスは、内務省の官吏としての生活を続けながら、頽廃的で挑発的な作家としても名声を博した、という人物である。もしも三島由紀夫が大蔵省勤めを辞めずに、作家としても作品を書き続けていたら、ユリスマンスのようになったことだろう。
そんな文学くらいにしか興味を持てない男も、2022年には大学教授であり、相変わらず目的も志操もない生活をしている。彼は、若い教官だった頃には、毎年のように教え子と恋愛関係に陥るのだが、そんな教え子たちも、大手企業に勤務して出世をするようになると、肉体が衰えるだけではなく、精神もすっかり疲弊している。要するに、フランスのエリート層とは何をしているのかというと、それぞれの専門にかけてはエリートと目されるのではあるが、精神生活はと言えば、孤独で寂しく、社会階層を着実に上り詰めて行くのに反比例して、身も心もすっかり生気を失ってしまうのである。
それほどまでにやる気のない、頽廃したエリート層が、それでもエリートとして存在できるのは、フランスという国家システムに、それまでに蓄積した富や権力の集積があるからだろう。しかし、彼らの疲弊感は覆うべくもない。
フランスがイスラム文化を全面的に容認することで、社会はどうなるのか、と彼は妄想し始める。ショッピング・モールの店を眺めては、それぞれの店の存続が許されるかどうか、と彼は考える。扇情的な下着専門店については、当然に存続可能、むしろ一層繁盛するだろう、と彼は考える。フランスのエリート女性たちが、昼間はいかにもお洒落で恰好の良いスーツやハイヒールで闊歩していても、夜になれば、ぐったりした何の衒いもない下着姿で冷蔵庫を覗き込むだけなのに対して、サウジアラビアの女性たちは、外に出る時には黒いブルカで全身を覆い、誰からの関心も惹かないにも関わらず、夜になれば、ド派手で扇情的な下着を身に纏い、怪しい魅力で夫を誘うのだ、と彼は妄想する。
女性の社会進出、ということの内実を、こんなにも残酷に書いた描写は衝撃的だ。さらなる女性の社会進出が必要です、とキリリとしたスーツ姿で語る女性政治家の皆様が、家に帰ればどんなにユルい下着姿で下腹をさすっているのか、という妄想に読者を誘う。
社会などに進出せず、台所で何時間も鍋に向かっている「ポトフ女」を彼は夢想するのだが、パリ大学などという閉鎖社会に住む彼は、そんな「ポトフ女」との出会いなどどこにもないのである。
さて、孤独が常態で、家族などいないのが当たり前であり、それでいて、社会的な地位にも収入にも恵まれているアーリア系フランス人がその文明の黄昏を味わっている傍から、イスラム移民たちは、大家族を形成し、フランス国家の充実した少子化対策の恩恵を受けて、いくらでも子どもをつくり続けている。そして、それらの子どもたちのうち、体力やコーチに恵まれた一部の少年たちは、サッカー選手として一流になり、フランス代表チームの主力メンバーになったりする。小説には描かれていないが、我々が見ている方のパラレル・ワールドでは、2018年のワールドカップで優勝したのはフランスであり、その主力選手たちは、みなイスラム教徒であるアフリカ系移民である。
アーリア系フランス人の没落、は決して完全なフィクションではなく、実際のところ、リアルな現実である。小説のイスラーム同胞団のリーダーで大統領になる人物は、ユダヤ教徒も、カトリック教徒も、そしてイスラム教徒も、誰もがそのアイデンティティを輝かせる社会こそが、フランスの未来であるべきだ、と語る。そして、様々な放蕩を尽くし、内務省のエリート官僚も定年まで勤め上げた後、勲章をもらって辞したユリスマンスは、カトリックの信仰生活へと向かうのであるが、この小説の主人公にはそんな信仰を持つ気配はさらさらなく、さて一体彼はどこに行くのか、については、これからさらに小説を読み進めなければならない。
アーリア人の没落、という物語を日本語訳で日本人が読む、といういささか歪んだ体験をもう少し続けることにする。

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