NHKの朝の番組を見ていたら、「アダルト・ビデオ出演強要問題」がそのテーマだった。
町で芸能スカウトに声を掛けられ、やっぱアタシ美しいから当然よね、というように思っていたら、事務所に所属するための契約書にサインをさせられ、いざお仕事、ということで出掛けて行ったら、思ってたのと違う、かわいいアイドルの映像を撮るのじゃなくて、オトコに蹂躙されるアダルト・ビデオじゃないのよー、ということで、これは人権侵害であります、と菅官房長官が何かの会議で語るシーンまで登場した。
おなたの娘がこんな目に会ったらどうしますか?というような切り口で番組は進行するのだが、例によって、マスコミ全般が陥っているミクロ的対症療法の観点でしか語られないようなので、自分の中ではその番組には見る価値なし、という結論が出て、出掛ける用事もあったので、番組鑑賞を終了させていただいた。
アダルト・ビデオの製作本数は、現在、月間で2,500タイトル、などという統計数字が挙げられていて、それが日本だけの話なのかどうかも良く分からないが、とにかくおびただしい数のいかがわしい商品が製作、販売、購入されている。
ミクロ的な観点からしか語られないNHKの番組では、そもそもそうした商品の製作、販売は、警察が決めるわいせつ性の基準を下廻る適法なビジネスでありさえすれば、非難には当たらない、という前提だった。もしもそれすらダメだ、と公共放送が語れば、その業界で生活する筋の視聴者の方々から異論が提出されるから、仕方のないところだろう。
しかし、警察が考えるわいせつ性の基準が正しい、という前提条件自体は、正しいのであろうか。
ユダヤの律法学者は、ユダヤ人が旧約聖書の定めを厳密に守ることを厳しく指導していたが、その社会に売春婦が存在していたことは、旧約聖書にも新約聖書にも描かれているので、厳然たる事実であっただろう。一方、キリスト教の道徳基準は、宗派・個人によってバラバラであるにしても、イエスという人物自身の道徳基準は、はっきり新約聖書に述べられていて、明確である。異性を見る場合において、よこしまな思いを抱いてそれを見る者は、ただちに罪を犯したことになる、という基準である。夜な夜なオンナを買うなど、論外であろう。少年を愛するなども、当然にアウトである。では、こっそりAVを鑑賞するのは、と言っても当時はそんな機器がないから、それは仮定の話だが、それも当然認められない話となる。
すなわち、イエスが語った天国の理想が実現した世界において、オトコとオンナが絡み合うAV産業に成立の余地があるかと言うと、そんなものはない。それは、製作もされなければ販売もされないだろう。なぜなら、それを購入する消費者がその天国には存在しないはずだからである。
イエスの基準こそが、人間としての真実の道徳ラインなのだと考えれば、アダルト・ビデオ強制出演問題は、はじめから存在しない。そもそもアダルト・ビデオの観念も実在も、あり得ないことになるからである。
一応、NHK的には、日本の警察が設けているわいせつ性の基準を超えない限り、アダルト・ビデオの製作、販売は適法である、という話だろう。したがって、それへの出演も問題ないことになる。ところが、出演者がどこまで納得して出演しているのかと言うと、それはやはりグレーなことになる。と言うか、人間の本質的な倫理観がそれを奨励するのかと言うと、それは良心の咎めることだ、ということなのではないのだろうか。
製作者だって、もしも文芸作品とか記録映画とか、もっと正面から人を感動させられる映像を撮る方が、本当はプライドを持てるだろう。子どもが誰かにパパは何やってるの?と聞かれた時に、AVの監督だよ、と言って欲しいものなのだろうか。
ちょっとずつ誰もが自分のプライドを犠牲にし、それを切り売りしながらやっている商売。結局、そこにニーズがあり、カネになるから、自分の尊厳を換金する手段としてやっている商売。そういうビジネスが成立している、という現実こそが、我々の娘たちの人権を蹂躙しているのである。
人間は、生まれたら、異性を愛し、子を育てて、死ぬものだ。そのサイクルに従う行為はすべて美しく気高いことであるが、その欲望を異質な方向に向けるのは間違いである。その時に微かに感じる良心の呵責に身を任せること、それが堕落ということなのだ、とイエスは我々に教えるのである。
そんなこと言っても、ボクのほとばしる欲情をどうしたらいいんですか?という質問ももっともである。そういうキミは早く良い女性を紹介してもらい、子どもを持つべきだ。そして、おむつを濡らしたわが子の尻を拭いながら、そこで親の幸せという陶酔感に酔い痴れることこそ、人間にとっての絶頂感なのだ。黄色にまみれたわが子の尻が美しい肌色を取り戻す瞬間を見ることによって、キミの欲情は解決する。どこかの知らないオンナの尻を見るのははしたなく、まして見せるのもはしたない。そういう最低限の倫理観がこれからのニッポンの常識になることを自分は切望しており、そうした産業が益々興隆するのだとすれば、それは日本の没落を意味する、と自分は考えている。

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