最近の私立大学の入試というのは、ほぼカジノ化している。
そして、自分らが学生だった頃には、想像もできなかったような入試の形態がどんどん導入されている。
たとえば普通の入試とは別枠で、「全学部入試」というルールを設けている大学がある。これは、どこかの学部や学科を受験するのではなく、全学部共通のある入試を受けて、自分が志望する学部や学科にチェックをしておくと、それぞれの学部や学科ごとに合格、不合格が示されるものだ。ちょうどルーレットに賭ける場合に、チップを一枚だけ賭けるのではなく、何枚でも好きなだけ賭けておくと、中にはまぐれ当たりで(たまたま受験生のレベルが低かったり、倍率が低かったりする学部や学科がある場合)どこかに合格することもある、という仕掛けだ。
似たような別枠のルールとしてセンター入試を利用する、というのもある。これはその昔、国立大学の入試において、全国共通の一次試験を受けさせて、それと大学が独自に行う二次試験とを併せて合格、不合格を決定する、という意味で導入されたものだ。
ところが、これがセンター試験というものにアップグレードされると、私立大学がこの制度を利用することが可能になり、これまた、全国共通のセンター入試を受験しておくと、その制度を採用しているどこの私立大学のどこの学部、学科でも自由にチェックすれば、やはりまぐれ当たりでどこかの大学のどこかの学部または学科に合格することができるようになった。
こうした制度では、高額な受験料を負担できる親さえ持っていれば、いくらでもチップを買えるので、努力もなしに好きな場所にチップを張れるから、したがって大学にも入りやすい、ということになる。
もちろん実力の不足をカネを補う、というその考え方は合理的であり、フェアであると言えるだろう。何よりも大学側は、入学するはずがない大勢の受験生から巨額の受験料を受け取ることができるのだから、非常に効率の良いビジネスだ。センター試験にいたっては、自分で試験問題を作成することもなく、試験会場や試験監督すら準備する必要もなく、受験生から書類だけ受け取って、あとは入試センターから届く成績と付き合わせて合否判定をするだけで、学部や学科ごとに何万円もの手数料が得られるのだから、濡れ手で粟、とはこのことを言うのであろう。
この場合、受験料を支払う方も受け取る方も、互いに納得ずくで行っている取引である以上、これを反社会的であるとして禁止する理由もない。取引の自由はあくまでも確保されるべきである。
ただし、中には、多数の学部や学科に応募する、という大人風のチップの置き方に反発する貧しい受験生もいることだろう。ある大学の法学部と別の大学の文学部とさらに違う大学の意味不明な学部(キャリアデザイン等々)を全部志望校にして、合格したらどこにでも行く、という態度はいかがなものかと。
だがしかし、高校生に法学部と文学部とその意味不明な名称の学部の違いがはっきり理解されているとは思われない。結局、どんな学部を志望するにしても、入学してからある種の満足感とある種の失望感を同時に味わうことが決まっているからだ。
それならば、どうして何も知らない受験生に何らかの学科を選べ、と大学は要求するのか。それは自分が持っている情報を相手側が知らない、という情報の偏りを利用した詐欺的商法なのではないか、という気がする。それに、法学部の入学生には法律しか教えず、考古学科の入学生には考古学しか教えない、という異常に偏った教育も学問の進歩のためには危険である。
たとえば最新の考古学を研究するためには、年代測定の技術が欠かせないのであり、そのためには物性物理とか化学分析の演習が必要であるし、質量分析計の操作法も知る必要があると思うが、そのためには帝国大学時代の考古学の教授から欧米流の考古学を学びました、というような老教授が、古色蒼然としたノートをもとに講義する授業を聴いても何の役にも立たない。考古学を真剣に研究したい者に、最新の物質分析の手法を教えるような体制が日本の大学には存在していない。
また、医学部の学生に必要なものは、患者の治し方という技術だけではなくて、ニンゲンの生と死、という倫理学の分野で人類が到達した叡知についての基礎知識が不可欠で、患者が何らかの宗教を信じているとすれば、宗教間での生死観の相違、というような比較思想を知らずには医師という職業に就くべきではないだろう。
どんな勉強をするにしても、ちょっと深く研究しようとすれば、学部や研究室の枠を飛び越えて、多方面の勉強をしなければならないにも関わらず、大学教育が縦割りの利権主義に阻まれて、自由な研究ができない、というのが、日本の大学の致命的な欠陥である。
日本人はノーベル賞も取っている、と自慢げに語る者もいるが、そのほとんどは欧米の研究者との共同研究であったりするのであり、日本のタコツボのような研究室に閉じ籠っていて、それでノーベル賞級の発見をした、などという話はまったく聞いたことがない。
大学の研究室の利権主義が大学教育を腐敗させ、大学入試のシステムが中等教育を腐敗させ、中学入試を目的に塾が大盛況になるのに反比例して小学校が無内容になってしまう、という日本の教育の荒廃ぶりは、まことに目を覆うばかりである。

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