世の中にはいろんなランキングがあって、発展途上国への支援を一定の指標で測定してランキングする"The Commitment to Development Index"というのが発表されたのでそうで、そのベスト・ファイブは、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、そしてオランダである。
これはまた、随分狭い地域に全部入っちゃってる、というのは驚きだが、これらの諸国はまた、国民の幸せ度ランキングというようなものでも、すべてが常連で上位に入っている。
ちなみに、途上国支援のランキングに名を連ねているのは、まあまあ途上国支援をしそうな国、全部で27ヵ国なのであるが、その中の堂々27位は日本であり、ブービー賞が韓国である。韓国より下か〜、というのは、一部の特殊な人々ががっかりしそうなネタではあるが、これはまあ、ある種の人々が一定の指標で評価したらそうなった、ということなので、私にはわからないが、日本の支援には日本らしい「おもてなし」か何かの要素が密かに仕込まれていて、それは普通の人類にはなかなか理解できないものだったりするのかも知れない。
ともあれ、自分たちが幸せだと思えば、困っている人々への援助もきちんとする、というのは、当然うなずける話で、この両者はいわばコインの裏表であろう。そうして、日本という国は、国民も自分たちを幸せだと思っておらず、途上国への支援もただ札束をバラまくようなもので、これに何かの指標を当てはめると、全然得点が上がらない類のものなのだろうと思う。
そもそも、北欧諸国の政治の目標設定が国民の幸せ、というものであろうことは容易に察しがつくのであるが、日本国の現政権が突然言い始めたのは、政治は国民が総活躍することを目指す、ということなのである。それで、その総活躍というのは何を意味するのかと言うと、まずGDPを600兆円に押し上げることであり、次に子どもの出生率を上げることであり、さらには待機児童の数を減らすことである。
その総活躍の三項目を全体的に考えて、我々の生活はどのようになるべきなのかと言うと、まず第一に今以上に仕事に励んで営業成績を上げなければならない。第二に子どもをつくらなければならない。第三に年寄りの面倒を見る施設をたくさんつくるから、介護のことは心配せずに、もっと働かなければならない、というようなイメージ図であろう。それは素晴らしいなあ、そういう国に自分も住みたいなあ、というように日本国民は思っているのだろうか。
国民の幸せと国民の総活躍とは、全然リンクしないのみならず、日本は、その向かって行くところがまったく間違っている、と自分は思う。そういう間違った目標設定は良くないので、今の内閣は次の選挙で政権から追い出すべきだと思うが、それに代わることができるのは、「維新・民主・無所属クラブ」だけである、と告げられる。はあ?足の捻挫を回避しようとすれば、腕を骨折するしかない、みたいな選択肢の窮屈さではないか。
もうそういう選択肢しか与えられていない点で、日本人の不幸が思いやられる。
では、なぜ北欧の政治家は、国民を幸せにするような政治をするのだろう、という素朴な疑問を持つことは大切である。その答えはカンタンで、一般的に北欧には、職業政治家という汚らわしい奴らがいない、というのが、その答えであると思う。
まず、選挙の典型的な姿は、政党を選択する、ということである。すなわち、基本、比例代表制が北欧型の選挙だ。そして、各政党は、自分の党を選んでもらうために、素晴らしいマニフェストを公表し、世間受けのする候補者をリスト・アップする。そこにリスト・アップされているのは職業政治家なんかではなく、社長だったり、小説家だったり、学者だったりする。そして、当選のあかつきに、彼らはどうなるかと言うと、相変わらず、社長や小説家や学者の仕事をする。そして、彼らは必要な時に議会に出席して、その出勤時間に対して、手当てをもらうだけだ。そんなことで、一国の政治が回るはずはない、とほざく者がいても、現にそれで政治というのは回るのであり、彼らがつくった立法によって、国民は幸せだと感じるのであり、彼らが選んだ内閣は、国民にも途上国の人々にも歓迎されるような仕事をしている。
わが国では、大臣でもない陣笠議員でも、生活するには十分過ぎる歳費を受け取る。そして、彼らがその歳費および政治資金を何に使っているかというと、自分個人の後援会のために使ったりする。個人の後援会が機能しないと当選できないからだ。一方、北欧では、自分の選挙区なんかないし、政党から委嘱されるだけで議員になれるのだから、選挙運動もなければ、選挙期間中にマイクロバスや拡声器を借りる必要もないし、大きなダルマを買って選挙事務所に設置する必要もない。
そもそも選挙事務所に地元の顔役が集まって、コップ酒を飲んだり、万歳したりするのは、それこそ発展途上国の民主主義である。いつまでそんなことやってるんですかね、という疑問がそろそろ日本の有権者の中から出なければならない。国会前でラップを歌っていたSIELDsさんなんぞ、騒音を発生させるより、選挙制度改革、という本質に立ち向かうべきであろう。
もちろん、大きな問題は、法律をつくれる機関は国会しかなく、国会は今の選挙制度で選ばれた議員によって構成されていることだ。しかし、民意とか世論というものが、もう少しきちんと出て来れば、彼らは、自分たちが生き残るために何らかの改革をはじめる可能性がある。
議員になるためにはマイクロバスと拡声器と白い手袋とデカいダルマが必要であり、それができる人には良い法律がつくれるのだ、ということになっている事実に疑問を感じ「ない」ということが、非常に大きな疑問である。
やはり、日本人は、世界の中でも謎の多い人々である、と言わざるを得ない。

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