昨夜は、昨年の暮れ以来会っていなかった方と会って、いろいろお話をしたのだが、ベートーベンの第九の合唱はどうだったかという、自分の中では随分昔の話題を振られたので、改めてそれを思い出してみると、本番というものが持つ、客席、指揮者、楽団、合唱がすべて同じものを求め、共有する時間のあり方が、やはり想い出深い、記憶の中にきっちり埋め込まれるものだった、ということと、練習時に、毎回発声練習を入念にやったことの意味を改めて思い起こした。
合唱をするのは話にならない素人ばかりなのだけれども、指導する側はやはりプロなので、歌うために欠かせないルーティン・ワークは、毎回しっかりと行われたのだった。
歌を歌うことにだって、それほどのルーティン・ワークが要るのだから、まして人生を生きる、つまり普通に一日ずつを生きるためには、やはり一日の始まりにおけるルーティン・ワークが必要なはずである。
それで、一日のスタートをどう始めるのか、という話題になって、自分なりのルーティン・ワーク手法についてお話してみようとしたが、これはまあ、いわば非常にプライベートな方法を自分なりに構成しつつある、という段階のことであり、あまり整理してお話することはできなかったので、この場で、自分なりに整理してみたい気もする。
時間軸として、NHKのEテレが毎朝放映している「テレビ体操」がひとつの基準をつくる。NHKなのだからその放送開始時刻は厳格で、今朝は30分くらい遅いなあ、というような経験は一度もない。(会長が新しくなっても、その点は変わらないで欲しい。)それが、日本国標準時の午前6時25分である。
そのために、起床時刻を午前5時50分と設定している。
体操は、肉体をストレッチすることが主目的だが、人間は肉体よりも精神の方が重要なので、精神をストレッチするのが、最初のルーティン・ワークである。
ストレッチとは何かと言うと、肉体なら例えば両腕が延びるだけ目一杯伸ばしてみる、ということなのだが、精神の場合は、ストレッチしてみると、空間方向には無限に延び、時間方向なら永遠に延びる。まず、ぐうたらに睡眠して、自分の感覚の及ぶ程度に縮こまっている精神をぐいっと延ばすことが肝要である。そのために、私には毎朝必ず読むべき定番のドキュメントがある。坊さんならお経を読むのと同じことなのだが、私はサンスクリット語に疎いので、日本語で書かれた書物が選定されていて、それを毎朝、一定のパラグラフだけ読んで、なるほど、と思う。そのため、このドキュメントとしては、自分がいつ読んでもなるほど、と思えるものを選定してある。
このなるほどと思うドキュメントのテーマは、調子よくカネを儲ける法とか、オンナにもてる秘訣とか、そういう実務的なものではなくて、ある意味ではもっと実用的なのだが、宇宙はこうしてはじまり、私はこういう者だ、というような深遠な思想を含むものでなければならない。そういう深遠な思想と寝起きのアタマが衝突するのが、私のルーティン・ワークとしてのビッグ・バンなのである。朝からそんな深遠なものに行くか、と思う方もあろうが、それが私にとっては最も効果的な美しい目覚めとなる。
かくして、その深遠なる思想と衝突しておいて、それと自分の迷える魂とが融合するように、一種の瞑想(時には迷走)をするのが、我が精神の彷徨である。その過程で、宇宙は今日も137億年前のビッグ・バン以来の運行を継続していて、地球が予測に違わず自転をした効果によって、寝る直前には外が暗かったのに、今では自分が太陽側の向きにいること、昨日も大気中で酸素を取り入れる肺呼吸をした覚えがあるが、今朝もまったく同じシステムで肺呼吸ができていること、などを確認する。
老人になると、そうしたバランスが崩壊過程にあることが明らかなのだから、それは毎朝点検しなければ、いつ呼吸を忘れて死んでしまうか分からない。そして、宇宙と地球が正しく運行するのと同様、世の中には正義と邪悪とがあり、自分にもし歪んだ部分があるとするならば(間違いなく歪んでいるのだが)、それがとりあえず校正(calibration)された状態で、本日の一日を過ごしてみたいものだ、そうであれば良いなあ、というようなことをぼんやりを考え、今日はこんなことをする日であり、明日はあんな日で、そうそうあいつにこれをやることも忘れてはいけなかったなあ、というようなシミュレーションを漠然と行なう。
そんなこんなで、ぼちぼち体操の時間となる、というのが、私のルーティン・ワークである。すると、その日にやるべきことが、一応、シミュレーション済みであるので、割と最短所要時間でいろんなことがサクサク運ぶ、というのも、私が体験済みのところである。
別に誰かにお奨めする積もりもないし、強要する積もりもないが、漠然としたアタマのままで、朝食を食い、無批判に日経新聞を読んだりしていると、だんだん変な人になって行く、というのは、私の最も恐れるところである。

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