憲法と言えば、集団的自衛権の話を考えねばならない。
これを、歴代内閣の憲法解釈と同じか違うか、というミクロな視点でどんなに観察しても、何が良い選択か、という設問に対する答えは出ない。
これは日米安全保障条約という条約を巡る問題なのであるから、問題の答えは、日本の国内事情とか国民感情よりも、まず米国の国内事情と外交事情を検討してみなければ、何も分からない。
さて、安全保障を巡る米国の事情を見ると、一体、何がどうなっているのか。
太平洋戦争までのところは、おそらく異論のないところであろうが、開戦以前の米国民のスタンスは、帝国主義は自分と無縁だという、「あっしには関わり合いのねえことでござんす」という木枯し紋次郎型のモンロー主義を決め込んでいたのだ。もちろん、旧宗主国、転じて利害を共有する仲間となった英国は、ナチス・ドイツとの戦いに苦労しており、ナチス・ドイツと同盟関係にあって、アジア地域で帝国主義の狼藉を行なう日本に対しても、「どげんかせんといかん」という焦燥感を持っていた。
そこで、日本に対する圧力をどんどん強めた結果、ついに日本はブチ切れ、真珠湾攻撃を決行する。宣戦布告と爆撃のどちらが先だったかのかは見方によるが、クロスプレーを狙ったのだから、アメリカ政府はこれをうまく利用し、「日本、汚ねえ」キャンペーンを展開、その後対日戦が主要な外交方針となったことは、2001年以降の「テロとの戦い」と同じ構図である。
さて、対日戦に勝利した後にも、米軍には継続的に仕事があった。ソ連の台頭によるいわゆる「冷戦」の開始である。ここから、米軍は長期にわたる「冷戦」を展開するのだが、これは軍備だけは増強するが実戦を伴わない、という意味で、非常にユニークな性格を持った戦いである。しかし、実戦の場もあった。ベトナム戦である。これもまた長期戦になったので、米軍の仕事は繁盛する一方となる。
しかし、物事にははじまりがあれば終わりもある。とうとう長期戦を維持できなくなった米軍はベトナムからの撤退を決断する。そして、米ソ冷戦に関しては、先に終結を決めたのは、ソ連のゴルバチョフ大統領であった。
そういう訳で、1990年頃から以降、日本ではバブル崩壊後のデフレ時代を迎えたのだが、米軍も冬の時代を迎える。そういう長期低落傾向の中で勃発したのが2001年の911事件であり、W・ブッシュ大統領は、「テロとの戦い」という、宣戦布告のない新型戦争を発明する。
そんなこんなでアフガニスタンとかイラクに派兵して、テロリストの温床を叩いたのだけれども、結局は現場をベトナム同様ぐちゃぐちゃにしただけで、誰かが何かを得したかと言うと、軍人や装備を請け負って戦争を実行した戦争業者が儲けただけのことだった。
とこうするうちに、ソ連改めロシアの方は相変わらずパッとしないのだが、中国の方は、アジアにおける覇権主義をブンブン振り回すようになる。久し振りの大型案件である。今度は米中冷戦でしっかり存在感を発揮できるかも知れない、と考える米国軍産複合体は、中国に対する対決姿勢を打ち出すことにする。
それで、今度の米中冷戦は、どういう枠組みで考えるかと言うと、米ソ冷戦の時は、米軍+NATO軍というチームを結成した。それでおそらく今度は、米軍の思惑として、米軍+韓国軍+自衛隊というチーム編成をしようとした、というのが、自分の推測である。ところが、その話を朴大統領に持ち掛けたら、朴大統領が散々日本の歴史認識問題をヘーゲル国防長官に愚痴って、あたかも日本とは協力できないようなことを言ったのが、9月30日の出来事である。
そこで、米軍としても仕方がないので、米日二国で中国と対峙するしかないか、というように方針転換をし、ならば韓国軍にやらせようと思っていたことも自衛隊にやらせるしかないから、現在の自衛隊の作業範囲をもう少し広げる必要があるということになって、そっちの案で日本と協議したのが、10月3日の2+2(すなわち、日本は外相、防相、米側は国務、国防両長官による協議)だった、というのが最近の流れだろう。
だから、日本の集団的自衛権の議論は、朴大統領のスタンス如何なのであり、今朝のニュースでは、必ずしも年内に方針を決めなくても良いような流れだ、と言っていたので、あるいは朴大統領側から、ちょっと待ってよ、とホワイトハウスに一筆を入れたのかも知れない、と私は推測している。
米側は、韓国が妙な意地を張って中国側に寝返ってもいけないので、その微妙な女心にウンザリする気持ちはあっても、様子を見ることにしているものと思う。どっちの大国に付いた方が得なのか、揺れる心は男たちを惑わせる、という韓流ドラマ的展開なのだが、中国も米国もそんな愛に惑うほど情緒的でもないだろう。まあ年内くらいはこのおばさんに、少女趣味的な悩みを悩んでもらおうか、という程度が両大国の態度だろうと思う。

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