長い時間をアエロフロート機で過ごした。
本当は、ミュンヘン空港で出発前に時間があったのだが、Wi-Fiの使用は有料と表示されたので、カネが掛かるならやめようということで、ゲームをしていた。本ブログは読者から対価を取らないし、アフィリエイトの収入を得ることもしないので、収入がないのに投資をする、ということはあり得ない。筆者も読者も使うのは時間だけ、というのが、自分の決めているルールなので、一日サボる結果となった。
さて、ミュンヘン・モスクワ間も、モスクワ・ナリタ間も多くのロシア人に囲まれ、ロシア語を聞かされていたので、ちょうど生まれたばかりのカルガモが初めに見た生物を母親と思い込むような本能に従って、まるで自分がロシア人であるような気持ちになった。
そうやってロシア人的に世界を見てみると、自分たちの文明の原点は古代ギリシャ文明であろう、という具合に思う。どう見てもキリル文字は、ギリシャ文字から造形されたものであるし、ローマ帝国の影響があると言っても、それは東ローマ帝国の方である。
もともと古代ギリシャがどうしてあんなに立派な文明になったのかと言えば、もちろんペルシャ文明という強大な勢力が身近にあったからだろう。いい具合な港をたくさん持っていたギリシャの各都市は、地中海貿易で大きな利益を上げる。そして、ペルシャにとってその利権はどうしても欲しいものであった。ところが、強大な帝国であり、相当な殺傷力を有していたでろうペルシャの軍隊は、基本的に陸軍だった。そして、陸からカンタンには攻め落とせない要害の地形を持つギリシャと戦うためには海戦が必須だったのだが、艦船の製造技術は、ペルシャにおいてさほど発達していない。
そんなことで、巨大な文明と深く付き合いつつも独立を維持して来たギリシャ諸都市は、ちょうど巨大な中華文明の近くにいることによって独自の文明を作った日本と同様、独自の文明をつくり上げる契機を有していたことになる。
そのギリシャ文明の外縁部にいたマケドニアの宮廷にアリストテレスが雇われたことが、ギリシャ文明没落のきっかけになったと自分は考えるのだが、彼はアレキサンドロスという軍事および政治の天才を作り上げ、アレキサンドロスは、ペルシャと対抗出来るほどの陸上戦闘能力まで持ったために、強大な帝国を作り上げてしまう。
ところが、この国家は、超優秀なリーダーを戴いただけで、マケドニアという国家全体は単なるギリシャの辺境な戦士によって構成されていただけだから、リーダーが死んでしまうとたちどころに衰退する。この伝統をちゃっかりパクったのがローマ人であって、ここにローマ帝国が成立する。
それで世界史の教科書はすっかりギリシャのことを忘れてしまうのだが、彼らは死んだ訳ではない。ローマ帝国内で、ギリシャ人たちはいつもくすぶっていた。だから、ローマの権力が衰退すると、名誉あるギリシャ人は、独立した帝国を樹立することにして、東ローマ帝国が出来る訳である。これをローマ帝国の分裂と表現するのはおそらく間違いで、はじめから西と東は相容れない勢力として、対立関係にあったと見るべきだろう。
そして、西ローマ帝国にローマ・カトリックが成立したように、東ローマ帝国には、正教(オーソドックス)が成立し、西側では、やれゲルマン人だの、フランク王国だの、神聖ローマ帝国だの、ルネサンスだの、宗教改革だのが起こったりしても、そんなこととは何の関係もない世界史の裏側のようなギリシャ文明の水脈が続いていた。
西ヨーロッパの帝国主義は、大航海時代を前提として起こるのだが、東ヨーロッパに大航海時代はない。大西洋もインド洋もないのだから、そんなもの起こるはずがない。その代わりにあったものは、シベリアを開発する、という気の遠くなるような企図である。そして、シベリア開拓の果てには、不凍港を確保し、自分たちも海洋に出る、という夢があった。アメリカン・ドリームではなく、ロシアン・ドリームだろうか。
ところが、ようやくシベリアを渡りきった頃に、間の悪いことが起こる。帝政ロシアの崩壊とソヴィエト革命である。その結果ロシアは、当然勝てるはずの日露戦争に敗北する。そして、朝鮮半島を失う。チャンスは第二次大戦時に起こって、今度は日本が連合国側に敗戦しそうになったから、自分たちも連合国に参加することによって、少なくとも北海道は取れるはずだった。だが、連合国の総司令官マッカーサーは頑固者であり、反ソ的な人物だった。
ともあれ、朝鮮戦争を起こして、再び朝鮮半島を狙ったのだが、結局、そこに中国が介入することになり、北朝鮮もそうそうカンタンに言うことを聞く相手ではなくなってしまう。
その昔、ギリシャとローマという対決構造だったものは、ギリシャがロシアにまで延長し、ローマの方は大西洋を超えて、アメリカにまで延長してしまう。そして、ロシアとアメリカは、今でも朝鮮半島および日本列島という極東を巡って衝突したままなのだ。
モスクワでは、荷物検査でも土産物売り場でも、こちらが日本人であると見れば、「コニチワ」「コバンワ」と語り掛ける。非常にフレンドリーだ。まるで日本が既にロシアの領土になったかのようにフレンドリーだ、と自分は感じる。そして、彼らの精神の基底には、世界の文明の基礎はギリシャ文明にあり、その正統な後継者である彼らこそ、世界の覇者であるべきだ、という確固たる確信があるように思う。

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