第二次安倍内閣、の中心部分にあるのは、安倍・麻生中軸である。
これを見ると、やはり、日本の「戦後」は終わってなんかいない、との感慨を持つ。
戦争の記憶は風化する、とか何とか言っているけれども、戦争の「結果」は、決して風化なんかしない。戦後70年間で、日本の戦後はきっちり固定化されこそすれ、決して「戦後は終わった」りなんかしていないと思う。
「戦後」体制とは何かというと、連合国による日本支配、である。
連合国というのは、英語名ではUnited Nationsであるが、同じ名前のニューヨークに本部がある国際機関のことを、日本では国際連合と翻訳することにしている。しかし、あれはもちろん連合国のことである。
軍事的には、米軍による日本の軍隊(自衛隊)支配体制が継続しているし、あいかわらず日本の国連への拠出金は世界第二位であって、日本の国連重視政策は強固である。
敗戦以前の日本には、朝鮮も台湾も含まれ、満州国という友邦国家もあったが、連合国に無条件降伏し、ポツダム宣言を受諾した結果、朝鮮、台湾を失い、琉球もアメリカの統治下に入った。それが、戦後体制である。
ただし、ノーベル賞まで取った佐藤栄作氏によって、日本は再び琉球を編入した。今はたまたまそうなっているけれども、それは「今は」そうなっている、と言うに過ぎない。最近国境線が動いた地域というのは、言ってみれば、政治的、あるいは軍事的な活断層みたいなもので、近い将来またも変動する、ということが、一定以上の確率で起こり得る。
日本周辺は、地質学的とはちょっと異なる政治プレートで見ると、アメリカ・プレート、中華プレート、それにロシア・プレートがぶつかり合う、絶妙な場所に位置している。だから、我々は、それぞれのプレートがどんな動き方をしているかを良く観察しておく必要がある。
明らかなことは、現在、中華プレートがせり上がっているのに対し、これまで他のプレートに圧力を掛けて来たアメリカ・プレートが後退していることである。日本は、戦時中のある段階までは日本独自プレートというものを持ち、朝鮮、台湾から満州、中国本土、ミクロネシア、東南アジアへとその圧力を高めて来た。
ところが、太平洋戦争という地殻変動によって、アメリカ・プレートによって圧迫され、日本プレートは事実上消滅し、日本はアメリカ・プレートに乗っかる事態になってしまったのである。
これを対米追随外交とか、腰抜けとかいろいろ言う者もいるが、要は戦争で負けた以上、プレートが相手側に乗っ取られるのは、やむを得ない出来事と言える。日本の場合、連合国の「賢明な」判断により、名目上の主権は残され、日本語の使用もそのまま認められ(ただし、新仮名遣ひといふものを強制(きゃうせい)されてしまひました)たのは、ラッキーと言うべきことであろう。
そういう連合国が支配する日本、というものの姿を作り上げて来た英雄たちである吉田茂、岸信介といった人々の後裔が、再び日本で政権の座に就いたことは、日本が再び連合国支配下の政体というものに立ち戻る良い機会であるようにも思う。
そして、今度の体制は、父祖の時代ではGHQ相手に残念ながら十分に勝ち取れなかった主権国家としての体裁をもう少ししっかり整えるために、連合国に対し再交渉をはじめようとしているように見える。それが憲法改正、国防軍の整備、というテーマだ。GHQから与えられた憲法よりは、もう少し日本独自の意見を押し通した憲法の方が望ましい、と安倍晋三氏は考えている。
ただし、私の極めて表層的な観察では、彼が考える、より日本人の意志が反映した憲法案よりも、約70年前に連合国GHQが草案を書いた憲法の方が、ずっとクォリティが高いものであるように見えるのではあるけれども。

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