「源氏物語」、未だに挫折もしないで読み続けているのは、自分がしつこい性格だから、と言うよりも、要するに面白いからだ。岩波文庫では全6巻であるところ、ついに第4巻目の「若菜下」になった。光源氏自身の若かった頃のあれやこれやが、結局、世代を継いで、壮大なファミリーの歴史になって行くのだが、そのテーマは、どこまでも好きだ、嫌いだ、惚れた、腫れた、ということだけなのであって、そのテーマだけでここまで読者を引っ張るのだから、紫式部女史の力技には、恐るべきものがある。
しかし、この物語をここまで壮大なスペクタクルにまで仕上げた功労者は、何と言っても最初のコアなファンだった藤原道長だろう。
私が、一応、参考文献として、道長の「御堂関白記」を買って持っていることは、本ブログの真剣なファンなら、自分が一度書いたので覚えているかも知れないが、こちらは、まあ何と言うか、くだらな過ぎて、逆に面白いかも、と言うような本だろうか。
自分が持っているのは、繁田信一という人の編集によるのだが、彼はその原文に関して、およそ漢文としての基本的な文法もデタラメだし、漢字も間違いだらけであるし、彼が子どもの頃、いかに勉強しなかったかが大変良く分かる、と感心している。なるほど、その原文だけを見てみると、その漢字の羅列だけを読んで、何を言っているのか理解することは、相当に困難だっただろうと思う。まあ、今時の女子高校生のメールを何度読んでも、何を言っているのかが一向に分からないのと似たような状況だろう。
だから、彼には古典(漢文)の教養なんかろくにないことが明らかであり、そのために、おそらく公務はひどく大変であったと思う。大体、普通の高級官僚は、あんまり出仕なんかせずに、チャチャッと報告を聞いて、ササッと決済するのが普通なのに、彼は、いつも内裏に出仕して仕事をする、ハードワーカーだった。自分の想像では、彼はそうでもしない限り、個別の問題を要領良く理解できない性質だったのだと思う。
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という下手過ぎる歌も、彼自身はひどく自慢に思っていたらしく、部下は馬鹿にしつつも、それを誉めそやしたのである。
そういう彼が愛したのは、仰々しい中国の政治指南書なんかではなく、ひらがなを使って書かれたロマンスだった。今はなつかしい自民党政権末期に、安倍晋三氏とか麻生太郎氏のような漫画愛好家が首脳としてわが国に君臨したが、道長の政治というのは、そういうものだったのだ。
千年前の日本では、男の関心事と言えば、女しかないように見える。そして、男たちは、舞いとか、管弦とか、蹴鞠とか、弓とか、いろんな技芸に秀でているのだが、それもこれも、女にもてたいというのが主要な動機であるような感じがする。もちろん、当時から、徴税をどうするか、というような政治課題が山積していたはずであるし、内裏では、そういう行政機能が果たされているのだが、道長が日記に書き残したことは、家族の話題が中心である。彼は家庭内、そして貴族社会というソサイエティ内の人間関係に、非常に気を配る人間である。イベントをきちんと挙行すること、誰が来て、誰が来なかったかということ、誰に何をプレゼントするかということ、そういうことが彼の政治の中身を決定している。
平和だったから、そういう内輪の人間関係が何よりも大切だったのだろうし、細かいチマチマした人物である道長が長期政権を維持できたのだろう。細かい性格のために、国家の枢要に上り詰めた最も身近な具体例は、昭和時代の東条英機首相だろうか。あるいは、人事の佐藤と言われた佐藤栄作首相も、似た性格だったように思う。
ともあれ、サブカル好きな藤原道長が長期政権を取り、彼が源氏物語の熱狂的なファンだったおかげで、おそらく最初はちょっとした短編ロマンスでしかなかったであろうその物語は、壮大なドラマとして、我々に残された。それをありがたいと思うか思わないかは、あなた次第です、ということだろう。

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