シリアの衛星テレビ局「アルアフバリーア」が襲撃されて、テレビ局員が7名殺された、というニュースがある。これまで、欧米および日本の報道では、シリアではアサド政権による住民虐殺などの人権侵害が甚だしく、アメリカではヒラリー・クリントン国務長官などが、これを激しく非難、というような構図の報道だった。
だが、現実に起こっていることを、断片的な報道記事で繋げてみると、そこでは反政府運動が激しく起こっていて、事実上の内戦状態になっていることが分かる。そして、ヒラリー長官が反政府側を一方的に擁護している状況を見れば、反政府運動についてはアメリカのCIAが支援している、というのが常識的な見方だろう。
だから、アメリカなどが国連で、シリア政府の人権抑圧問題を非難した時に、ロシアや中国がそうした決議に反対したのは、アメリカが自分でテロ行為を煽っておいて、政府側が反撃すればそれは非人道的って、いい加減にしろ、というのが、その気持ちだっただろう。
テロとの戦いを主導しているアメリカは、世界のあらゆるテロ行為を取り締まるのかと思いきや、自分と利害関係のある相手だけを選んで対戦相手にしているし、どっちがよりテロっぽいかと言うと、相手は独裁であっても国家として国際的に承認された権力であるのに、自分の方は、当該国の内部で、非合法な反体制組織を支援している。(ぶっちゃけた話、内政干渉である。)
シリアの放送局が襲撃されたのは、体制を擁護するような放送をしたからだ、というのだが、それなら、NHKも日テレも襲撃されるに値するし、そんな理由で、言論を暴力的手段で封殺しようとする方がテロリストであることは、間違いない。
大体、欧米の主張は、はじめから政府が民間人を無差別に殺傷している、というものだったが、政府側と反政府側とが内戦をしている時に、どっちが誰を殺したのかは、判別のしにくい問題であるし、田中宇氏の分析では、公開された情報をチェックする限り、女性や子どもを多数殺害されたのは、イスラム教の中でも最も貧困なアラウィー派の住民と見られ、彼らは多数派であるスンニー派から、長年にわたって嫌われている。そして、シリアの権力関係の特徴は、独裁者とされるアサド大統領がそのアラウィー派に属していることだ。すなわち、アラウィーの家族が殺されたとすれば、身内の政府系軍隊によるものと推測するよりは、敵対関係にある反政府系のスンニー派の仕業と考える方が合理的、ということである。
要するに、現在のシリア問題は、クリントン長官による公式見解をひとまず置けば、少数派であり、どちらかと言えば貧困階級であるアラウィー派を味方につけたアサド大統領勢力の隙を突いて、元来が多数派であり、実力も持っているスンニー派の反政府勢力が、(アラブの春を好機と見たのか)政府転覆を企てている、という構図であろう。
一方的かつ皮相的なプロパガンダを簡単に信じてはいけない、という話は、中国や北朝鮮問題を考える場合も、同じことだろう。日本では、戦後の左翼活動がうまく機能せず、日本社会党は、片山哲、村山富市の二度政権を取っているが、いずれも保守政党との連立だったために、日本の社会主義化は実現しなかった。しかし、共産党、労働党が独裁政権となった国では、国内における権力関係の逆転現象が「現実に」起こったことを、我々は理解しておくべきだろう。朝鮮労働党にとっての脅威は、他国よりもまずは自国内の旧地主、旧資本家階級であり、従って、彼らにとっては出自が非常に重要で、かつて支配階級だった人々の子どもや孫たちは、危険分子として、いつまでも迫害し続けなければならない対象になっている。それゆえ、人々は「成分」によって、格付けされているのだが、その格付けで低位に置かれているのは、かつて、権力や財力や能力において、一般民衆より卓越していた人々である。中国共産党の場合は、文化大革命で、そういう昔のエリート階層を徹底していじめ抜くことが行われた。
そういう国内的な重層構造を理解しておかないと、なぜ朝鮮には現政権を激しく支持する人々がいるのかを理解しにくい。彼らは、もちろん「日帝」も敵視しているが、「日帝」に協力して、権力の甘い汁を吸っていた同胞に対する憎悪は、それ以上に激しい。そうして、かつて支配的なポジションにいた人々を憎めば憎むほど、被支配階級として辛酸を舐めて来た自分たちの先祖を解放してくれた金日成主席への敬慕の念はどんどん増幅する。たとえ自分は飢餓で死んだとしても、革命の栄光に殉じることは名誉である、という感性が、自然の情として存在することが分からないと、日本の物質文明を一目見せれば、あいつらはころりと思想を変えるはずだ、という具合の妄想を信じたりする。
人はパンのみによって生きているのではないから、贅沢を見れば、誰でもそれに飛び付く、という想定は誤りである。ただ、労働党や共産党の誤りは、かつての支配階級を憎むことが自分の原動力であるために、自分自分もまたかつての支配階級のように支配をしてしまう結果になっていることである。
あらゆる問題は、単なるプロパガンダのぶつけ合いによっては解決できない。歴史に対する本当の反省と未来に対する真摯な決意だけが人類を救う、というのが、大袈裟ながら、本日の結論である。

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