冷たい雨の降る一夜が明けて、今朝は爽快な天気になった。
金環日食などという確率の低い現象よりも、春の朝日という、こういう状態こそ、奇跡的な現象のように思う。人間は朝日を浴びることで、体内時計がリセットされる、との学説もあるが、まず朝になって、空が青い、というのが、実に深奥な出来事である。
そもそも、太陽が核融合という物理現象を起こしていることは、恒星のあり方として、そんなにも不思議ではないが、惑星である地球に大気圏という層があって、その中にはもちろん窒素、酸素、その他の微細なチリのようなものが多数あり、それらが光の中の短い波長にだけ影響して、散乱現象を起こし、結局、短い波長だけが強調されて地表に届く、というのが、良く出来た仕掛けである。しかし、もっと大変な仕掛けだと思うのが、そういう物理現象が、測定の結果、ようやく分かる、ということにはならず、それ以前に、人間の五感で、幼児にでもはっきり認識されるように、人間の受容器官が設計されていることである。
それも、人間の色彩感覚では、周波数をスペクトルのかたちでデジタルに認識するのではなく、空の青色と雲の白色とを、はっきり区別して認識する。もちろん、色の区別は、文化的に差のある話で、自分の親の世代では、青と緑とは同色と認識されていて、だから、彼らは信号機を見て、「すすめ」は青信号だ、と主張したために、今でも緑信号は、青信号と呼ばれることが多い。また、自分の受けた教育では、そのセピア色の、と言われても、それは茶色なんだか褐色なんだか、よく分からない。虹が何色あるか、というのも、七色あると言われているが、私の体感では、そんなに区別はできないような気がする。だがまあ、空の色と雲の色が違うことだけは、明瞭だろう。
つまり、青空を見る、ということだけをとっても、光源である太陽、調光装置である大気圏、そして受光器官である自分の目、というものの組み合わせで、はじめて成立する、けっこうむずかしいことだ。それらの各部分が、それぞれ勝手に成立した結果、偶然、私が青空を見て、いい天気だなあ、と思うようになった、というのは、かなり無理な想定なのではないか。それらの各部は、互いに相手の存在を前提として、そういう構造を持つに至ったものと考えるのが、物事は確率の高い順に発生する、という科学的推論に合致する想定だと思う。
しかも、ことは色だけではない。今朝の朝日は、その温度の設定が絶妙で、これまた熱源としての太陽、調温装置としての大気圏、そして温度検知をする自分の肌、という三者が、互いに関連し合って、爽やかな朝を演出しているのである。
もう少し言うと、そよ風の効果、というのもありがたいものだ。これを引き起こしているのは、大気圏のうち、地表近傍における空気の緩やかな移動、という現象だが、我々の肌は、それによって生じる圧力の変化も、圧力センサーを備えているから、敏感に感じ取ることができる。ただし、圧力を検知しただけでは、そよ風の爽やかさは感じられないはずで、おそらく、皮膚からは水分が蒸発しているところ、その近傍の空気が換気されることによって、蒸発が促進され、気化熱が奪われる、という温度変化との合わせ技で、そよ風効果が発現するのだろう。
天体の運行上、日本列島が太陽側に向き、それと静穏な大気圏の状態、という組み合わせが効果を発揮し、しかも我々が具備している各種の感覚器官がそれらをきちんと受容して、しかも大脳における情報処理の結果であろうが、それを身体の維持のためには好ましい状況という判断があって、それを「気持ちいい」という感情にまで発展させるのだから、大変な作業がここでは行われていることになる。
たぶん、物理的には、昨夜の雨で大気中の塵が雨粒と一緒に相当流れたために、視界が明らかに良好になった、ということまで、おそらく、情報量のひとつとして、同時に処理がなされているだろう。
また、それだけでなく、昨夜は冷たい雨が降っていたという記憶も残存しているから、記憶と現実との比較対照まで瞬時に行なって、雨の翌日には、爽やかな朝が来る、という一般原則にまで理解が及び、現在起こっている現象は、異常事態ではなく、極めて正常な環境の変化である、という判断まで行なって、安心感が生じる。
いちいち分析し出すと、普通に呼吸することまで、あまりにも精密な身体活動であることに驚異を覚え、息をするのも大変なことになってしまうし、考えずとも、いい天気だ、と認識することは、動物やあるいは植物でも同様に思っていることであろうから、本日の記事の結論は、要するに、今朝は良い天気だった、ということだけとする。

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