どんなジャンルをも問わず、果敢に語る、というか、どんな話にも人間としての面白みがあれば、ほじくりかえすのが当ブログの趣旨なので、本日は、島田紳助氏の芸能界引退を語る。
さて、資本主義のキホンは、商品の生産とその流通である。芸能人という職業において取引される商品は、本人の芸という労働であり、芸は人格と深く結び付いているので、芸能人であることは、そのまま自分が取引される価値を持つ商品である、ということにもなる。
島田紳助氏の引退会見の一部をニュースで見、その後、ネット上での雑多な情報を見る限り、起こったことの顛末は、おおよそ以下の通りであろうか。
ずいぶん昔、十年以上も前らしいのだが、島田氏が関西テレビの番組収録のために調子良くしゃべっていたところ、話がいわゆるヤクザに関連する話題へと及び、それがテレビ局の編集を経て、放送されたところ、実在のヤクザ組織より彼自身に脅しが入り、おそらくは、放送したテレビ局も、彼が所属していた興行事務所も、彼を守ることをしなかったため、彼はもはや芸能人としての前途がないものと、覚悟を決めざるを得なくなった。
その時、彼の相談相手になったのが、元ボクシングの世界チャンピオンで、当時既にヤクザ組織の世界にいたAさんである。Aさんは、彼の事情を聞くに及び、その筋では顔の効く大物ヤクザのBさんに解決を依頼、Bさんは、その筋ならではの解決手段を以て、島田氏の窮状を救ったものと思われる。
全うな世界のサラリーマンである関係者たちが、彼のために何もしてくれない、その困難な時に、AさんおよびBさんは、ヤクザであるという立場を利して問題を解決したのであるが、私が、島田氏が会見時に述べたその発言から考えるに、その時に、島田氏は彼らに対して感謝と恩義とを感じたのである。恩義を感じるとか、恩義に報いる、というのは、ヤクザという渡世においては、重要な徳目であるが、その根底には、もしその存在がなければ自分が最悪の状況に置かれる、という限界状況があるのだろう。日常の世界において限界状況に置かれることがほとんどないサラリーマンには、なかなか理解されない感情でもあろう。
かくして島田氏は、その後、日本の芸能界に君臨するようになるのだが、その話芸の魅力は、小市民的なささやかなプライドをあっさり突き抜ける面白さだ。妙なプライドで武装する相手に対し、失礼だが本当だ、というトークを軽妙にぶちかます。相手は、えっ、そこ来るか、と驚いて、もはやガードすることをあきらめてしまう。笑いは、社会秩序にとっては諸刃の剣であって、それは王様に聞こえるように、彼が「裸だ」と指摘するようなことである。彼は、それを恐れることなく、笑いという芸能の頂点に立った。
彼は、芸能人であるのみならず、不動産取引を行う実業家でもある。競売物件で儲けるのが彼のビジネスのひとつである、というから、その実務においては、彼の名前がBさんとセットで語られ、彼の背後にはそういう者がいる、という幻影を見せることには現実的な意味があったのであろう。義理と友情は、実利も伴ったに違いない。
さて、このところ警察庁は、暴力団Y組との対決を強化している。その対策の一環として、羽振りの良い芸能人とY組幹部の癒着は、看過できない問題である、との結論になったものと思う。そこで、警察は島田氏の所属する企業に警告を与える。企業は、本人を呼び出して、警察から圧力が掛かっていることを伝えたに違いない。そして、企業側は、本人がそうした勢力との関係を絶ち、問題を起こさない無難な生活をするように諭したものと推測する。
だがしかし、元来が不良少年だった島田氏のリアクションは、それとは別であった。芸能界にいたければヤクザとの付き合いを絶て、と言うのであれば、むしろそうした芸能界にいることを拒否する、ということで、いわゆる電撃引退に至ったものであろう。
仕事を取るのか友情を取るのか、というのは、人間として、鼎の軽重を問われる重要な決断となる。反社会的と言われようと、自分を助けてくれた者との友情を取るのか、社会的にはマトモであっても、実際には芸人を商品以上には考えない資本主義制度の側に付くのか。
ここで問われる問題は、自分の置かれた状況を考えた時、「人間として」何を大切に思うか、ということである。一般社会における名声を捨ててまでヤクザ者への義理を立てた島田氏に対して、もちろん警察はダメ出しをするし、マスコミはその尻馬に乗るのだが、私個人は、自分の窮状を救ってくれた恩義を捨ててまで、警察や所属企業にへつらうことは、「人間として」できない、ということは、大いにあり得ることだと思う。
そして、マスコミは、既に芸能人という位置を捨てて、普通人として本名で生きはじめた(旧)島田氏のことをいつまでもおいしいエサだと思って付き纏っていると、プライバシーの侵害、あるいは名誉毀損などによって、逆襲を受ける可能性があることを自戒した方が良い。ヤクザでない側に付いた、というそれだけの理由で正義ヅラをして傍若無人に振舞うと、ひどい目に会わないとも限らない。反社会的勢力に所属さえしなければ善い人だ、ということには、どう考えてもならないだろう。
「あなたがたのうちで、罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」ヨハネ8-7

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