どうでも良い話だが、巨人が弱い。おそらくより厳密に言うと、弱いというのは言い過ぎで、セリーグにはもっと弱いチームもあるので、決して強くはない、というのが、適切な表現であろうか。
ただ巨人の場合に、それが「問題」だとされるのは、かつて巨人には、非常に強い時代があった、という記憶がいまだに消えていないせいだろう。そのピークは、1965年から1973年まで続いた連続日本一の時代で、それは「V9」時代として歴史に記されている。
当時のスタメンは、ほとんど固定されていたので、自分は今でも選手の打順や守備位置を語ることができるが、その当時、圧倒的に強い常勝球団だった巨人は、個人として、そしてまたチームとしての完成度が高過ぎて、それゆえに、毎年同じチームで戦っていた。そして、そんなことは当たり前だが、彼らの年齢は毎年一歳ずつ増え続け、結局、同じ固定メンバーでチームを組むことができなくなって、強い巨人は崩壊する。
その後、スーパースターだった長嶋茂雄選手が監督に就任したりすると、それだけで、強い巨人のイメージが先行し、過剰な期待が高まったが、実際には、彼のチームには長嶋選手もおらず、戦力はすっかり落ちていた。しかも、その間に若手が台頭していたかと言うと、一軍の試合に出られるのは固定メンバーばかりだったのだから、新たなスターが生まれ続ける、というシステムはまったく構築されていなかった。
チームの経年的な成長というダイナミックな組織論は、当時の野球評論家には全然意識されてもおらず、従って、ファンの観点も場当たりだったので、弱い巨人には不満ばかりがぶつけられて、巨人軍についての説得力のある批評はいまだに確立していないと思う。
さて、巨人の「V9」時代は、そのまま日本の「高度」経済成長期だった。巨人と同様、日本経済は破竹の成長で、世界の驚異とされていた。当時経済指標として良く使われていたGNPが世界第二位に達したのも、まさにこの時代で、それは1968年だった。その成長は、誰も止めることができないほどだったが、「V9」最後の年、老齢化した巨人軍がかろうじて日本一になった年に、オイルショックが来て、その成長も止まる。
1975年に企業に入社した自分が、仕事がないので「自宅待機」をしろと言われて、3週間のモラトリアム期間をゲット、喜んで長期の旅行を楽しんだのもなつかしい。その後入社してみたら、初任給は5月分の給料で、違う業種に就職した連中に比べて、一か月分の給料をもらい損なっていたのも、私の不運な人生の一エピソードである。かくして私のサラリーマン人生は、「V9」以降の日本経済とともにあった。
強かったものもいずれはそうでなくなる、というのは、琵琶法師が平家物語を語っていた頃から分かっていたことで、私のサラリーマン人生では、先輩諸氏が、昔は良かった、と語るのをずっと聞かされ続けて来た。彼らは、あるいは自分が体験した高度成長が、もう一度起こることを期待していたようにも思うのだが、その奇跡は結局起きなかった。
今般の大震災、日本は大丈夫、とのメッセージは、一体何を意味しているのだろう。まさか「V9」あるいはその残像が残ったその後の約40年が、これからも続く、ということをイメージしているのだとすれば、それは違うと思う。
「V9」野球、それぞれの打順と守備位置に豪華なクレヨンのように素晴らしい選手たちが並び、それ以外の選手は、ただ彼らに奉仕するだけだったあの頃は、もう来ないのだ。そもそも、今の子どもは、あの頃のように誰もが野球で遊んだりはしない。野球、サッカー、ゴルフなど、それぞれの分野を自分で選んで育成システムに乗るだけのことだ。
多くのスポーツにそれぞれ分配される才能、それらがそれぞれに輝けるシステム。そういう時代の日本は、日本全体が豊かさに向かって、ただ一方向に進むのではなく、それぞれの個人や企業、業界ごとに、成功と没落が綾をなして行く世界になるだろう。日本人であれば決して貧乏することはない?そんな常識は、もはや通用しない。日本人であるかどうかさえ、すでに意味はない。あるのは、オレの成長やオレ達の成功であって、それが日本の、かどうかは保証の外である。
入団するチームが巨人であれ、オリックスであれ、そのチームが強いかどうかは、その年にそのチームに所属する選手と監督によるのであって、勝負は球団ブランドによって決まるのではない。日本、というブランドにすがって、それがかつては成功したから、何となく今後も成功があり得ると思うのだったら、そんなことはない、と私は断言する。「V9」時代の熱気、あるいは毒気に曝され続けた自分のサラリーマン人生を振り返る時、結局、頼りになるのは、自分だけだよ、というのが、私が体験的に学んだ最も大切な教えである。

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