大学生の就職率が90%くらいで、NHKでは、これは史上最低だ、とか言っている。しかし、それは随分短い期間のことを基準にして比較をしただけであって、仕事を求めても仕事がない、社員が欲しいのに社員のなり手がいない、などの現象は、少なくとも産業革命以降の数百年を単位として見れば、極端にひどい状況が世界にも日本にもいくらでもあった。90%もの卒業生が就職できる、というのなら、歩留まりはそんなに悪くない方だろう。
そもそも90%の就職成功者にしたところで、どうせ数年も経てば、けっこうな割合の新入社員が退職するのだから、そんな卒業時の瞬間就職率にこだわるのもおかしな話だと思う。
では、産業革命以前はどうであったかと言うと、基本的には、職業は世襲であったろう。王政であれば、王子が国王に昇格するものであるし、家臣の交替要員は、その家臣たちの子どもたちだった。農民の子どもは農民となり、粉引き屋のせがれは粉引き屋になるのが自然の流れだった。
ところが、経済発展の結果、都市が生まれ、商人階級が力を得、工場経営という新たな産業が登場した。そして、子が親と異なる職業に就くのも当たり前のようになって来た。だが、それで世襲が全くなくなったかと言うと、皇室はまだあるし、梨園も血統が問題であり、現実問題として、政治家もまた、地盤を世襲によって襲名させるという手法が健在である。一般企業にしたって、幹部社員が子女をコネで入社させることは横行しているし、オーナー社長の係累なら、それだけで次期後継者レースの有力候補になろう。
一方、出自と無関係な客観的な指標による採用、というのは、文官にせよ、武官にせよ、公務員を採用する場合に多く用いられる手法である。おそらくは、世襲だけでは公務員のニーズに相応しい人数が揃わない、あるいは、次第に平均能力が劣化する、といった事態が生じて、それを打開するために、出自制限をかなり緩和して、幅広い階層からリクルートを行うことにしたのだろう。民主主義という新しい政治思想も、それになじみやすいものだった。その場合の、スクリーニング手段が試験というもので、試験の成績上位から順に採用する、という方法を取れば、誰から見ても分かりやすい。また、近代の軍隊の場合でも、軍人養成学校の席次の高い者から順に出世させる、というように、客観的な数字で人間を選別する人事政策が横行した。無茶な命令を受けても、学校時代、相手の方が自分よりも成績が良かったという記憶があれば、確かに少しは自分を納得させる材料にはなる。
そういう出自とか試験の成績という、それぞれ本人の実力と関連があるのかないのかは胡散臭いながら、何らかの指標で、人間は選別される。出自に関しては、北朝鮮とか、文化大革命時の中国などでは、親が教養や学識を持っていたり、権力や財産を持っていたりすると、それが逆にマイナスにカウントされて、就業の機会を奪われる、という珍現象も発生した。
親の職業で、自分の就業機会が規定されるのも窮屈だし、試験や学校の成績でそれが決まるとすれば、それもいい加減過ぎる話だ。出自一辺倒の時代も終わっているし、実は、試験の成績という単純過ぎる指標で選別する、という時代も終わっているのではないか。大卒、というくくり方が、そもそも変である。大学を卒業していても掛け算ができない者は普通であり、高校を中退して引き篭もっていた若者でも、超優秀な可能性がある。
もはやそういう表面的なくくり方でざっくり採用を決める時代ではないとすれば、企業の方でも、優秀そうな学生をインターンで雇って、社員に取り込むとか、同業他社の優秀な社員を引き抜くとか、すでにアメリカでは実現しているような新たな採用方式に向かって進んで行くことになるのだろうと思う。
従来の古臭い観点で見て、就職率なる指標を計算し、その数値が低いとかどうとか言っても、もはやあまり有効な議論ではないような気がする。(その指標は、おそらくどんなに景気が良くなっても、下がるだけだと思う。企業は、新卒以外の採用手段をけっこう開発しているから、新卒への期待度は下がるだけだし、一方、大学卒業者数は増える一方なので、その能力の平均値、企業にとっての魅力も下がるだけだからだ。)

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