毎日新聞ウェブ記事。「政府・民主党は25日、東日本大震災の被災地復興へ向けた実施組織について、まず全閣僚で構成する「復興対策本部」を設置し、1年後の来年4月をめどに各府省の権限を一元化した「復興庁」(仮称)を設置する方針を固めた。」
菅首相には指導力なし、の声が広がる中、「やっちまったな」という類の方針だ。
すなわち、今般の災害に対する抜本的な取り組みは、やる気なし、という回答書である。
菅首相は、新しい官庁の創出は、二重行政になるおそれもあるから慎重にしたい、と答弁もしているようだが、そのメッセージは明らかだ。その真意は、現官公庁の縄張りは、どんな状況でも必ず守ります、という霞ヶ関に対する熱烈な忠誠心の表明である。
言うまでもないことだが、被災地の課題は、順調に社会生活を送っているそれ以外の地域とは、全く異なる。それを同じ尺度で仕切ることはもともと不可能だし、何よりも、被災地の復興は、新しい社会関係、新しい文化を生み出す、という壮大な規模の社会実験である。それを実現するためには、従来の縦割り行政を適用してはならないから、彼らの権限は、被災地という特殊な場所では、まず作動できないように封印すべきだ、というのが、復興庁(私個人の意見では、震災復興省だが)構想の骨子である。だから、現行官庁は、一旦、引いた立場に退き、新組織からの要請がない限り、本来業務を行うことができなくなる、ということが望まれているのである。
それに対して、霞ヶ関の現官庁が大反対するのは当然である。彼らは、1ミリだって、自分の権限が奪われることに我慢がならない、という種類の連中である。一方、被災地を預かる自治体としては、今まで同様に、この業務はこの官庁、あの業務はあの官庁、とたらい回しされて、一向に何も進まない、という事態にうんざりしているから、国の業務を一元化するための組織として、復興庁という単一官庁の設立をぜひ必要としているのである。
この点に関しては、当該官庁の新設をストレートに求める自民党の主張はもっともであり、正しい政策判断であろう。これは、被災者と霞ヶ関との対決である。そして、菅首相が霞ヶ関の側に立つことは、そのまま被災者と敵対することを意味する。
おそらく、民主党内でも、菅+官というカンカン体制に対しては、これから大きな反発が起きることだろう。そして、その先陣を切る人物は、民主党内では党員資格を停止されている小澤一郎氏であろう。なぜ彼は、この時点で立ち上がるのか。それは、地元東北の復興利権を彼ひとりが握ることを、おそらく天命であると受け止めているからである。
実際のところ、自民党が復興庁構想を主張するのも、そこに巨大な利権が生まれるからだ。従って、これからの政局は、小澤、自民党のいずれが復興利権にありつくか、というハイエナ対ハゲタカの争いになるだろうと思う。
あるいは、ハイエナ+ハゲタカという悪魔の連立が生まれて、菅体制を倒す動きになるのかも知れない。多くの人命や人生設計そのものが政局に巻き込まれる、というのもやりきれない話だが、それが現実だ。地震、津波、放射能、の次に連鎖的に現れた災害が政局だった、ということである。
では、最善策とは何なのだろう。端的な問題は、震災復興担当大臣に誰を据えるか、である。現在、何となくそれらしいポジションにいる仙谷官房副長官、やりたくてたまらない小澤一郎氏、最大野党総裁の谷垣禎一氏。彼らのことを考えれば、正直、誰にもやらせたくない。今、震災復興の青写真をはっきり示し、それをオレにやらせろと言って、政局の目となり、自ら実行する人物。今は、どの政党の誰もが、そうなれる可能性を秘めている。多数を集められる人物は首相になれば良いが、復興担当大臣に求められるのは、新しい東北についての明確なビジョンを持ち、自治体の首長たちを味方に付けられる、という能力だ。逆にそういうスターを発掘し、自分はサポート役としての首相をやろうと考えることの出来る人物が、ネクスト・キャビネットを率いることになるのかも知れない。
【あえて、菅首相に延命策をアドバイスするとすれば、強力な権限を持つ復興専任の役所を仙台市に置き、その担当大臣には枝野幸男氏を任命する。そして、岡田幹事長を官房長官に、仙谷官房副長官は幹事長に、というシャッフルを行うのがお勧めである。枝野官房長官にとっては、東北大学法学部に通っていた頃以来の仙台暮らしとなるが、青春の思い出を胸に、また大学時代のコネも生かして、良い仕事をしてもらえるのではないか、と思う。】

3