経済が最重要課題だ、というセリフの多い最近の日本なのだが、ある時期までの日本の経済成長が、そのままのかたちでまた復活することが期待されていて、今そうなっていないのは、政治の責任だ、というのがその主張なのだとしたら、それは誤りであると思う。
家計でも企業会計でも同様だと思うが、そこには「収入」という要素と「資産」という要素のふたつがある。収入が支出によって食われながらも長年の間に積み重ねられたら、それが資産となる。数学の用語を使うと、収入を積分したものが資産となる。
一方、資産の側からこれを見ると、もし収入>支出なら資産は増える方向に動き、もし収入<支出なら資産は減る方向に動く。もし、支出を一定(すなわち係数)と考えると、収入は資産を微分して得られることになろう。
かくして、経済がどうなのかは、微分の面から収入を考えるか、積分の面から資産を考えるか、その両方を勘案する必要がある。
それで、現在の日本をおしなべて見るに、収入面はなかなか増えない、すなわち微分係数で言うと、ゼロかあるいはマイナスの方向にある、かりにプラスであるとしても、その数字は大変小さい、というのが、実態だろう。しかるに、資産の面で言うと、現在の世界全体の水準から見ると、家計も企業もこれまでの蓄えがあり、しかも、支出をそれなりに絞り込んでいるので、資産の目減りは少ない。まして、ドル表示で言えば、円高の恩恵を受けて、資産はきっちり増えていることだろう。
成長が、あるところまで行けば、そこからは高原状態になって、経済はそんなに成長しない、というのは、ちょっと前のヨーロッパや、今現在のアメリカを見れば、明らかなことだ。だから、家計も企業も、そういう新しい時代の経済状況に合わせて、自分たちの生き方を再構成する必要があろう。
新たな時代の生き方のひとつの手本はヨーロッパで、そこではワーカホリックは流行っておらず、むしろワークシェアリングが目指され、人はただ働くだけ、という状況から脱し、仕事も含めた生活全体をどう設計するか、ということが、新たな問題となっている。
日本でも、少ない労働時間、少ない収入を前提として、仕事と余暇、家族との時間、など新たな生き方の検討が必要になるだろう。また、生活用品のリサイクルも進め、カネではなく、労力によって必要な財を得る、という循環型の経済サイクルも確立されるべきだろう。
経済成長期のモットーは、すべてはカネのために、であったろうが、今やカネに頼らない「豊かな生活」を樹立すべき時が来ている。武器を開発、輸出して金持ちになるよりは、ハンディキャップのある人のための補助器具を開発して、安く提供し、少ない富で少しでも「住みやすい」社会を目指すのが政治の目標であって、「経済最優先」の掛け声は、時代錯誤の遠吠えに過ぎないような気がする。

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