電車に乗ったら、隣におっさんの二人連れが座り込んだ。
「何かよう、この頃の若いヤツってえのは、皆疲れてんのな。休みだからって、全然解放感とかねえよなあ。」
「そうだなあ。皆そうだよ。」
「駅の改札口で待ち合わせしてるようなの見てるとよ、元気なやつは皆中国語とかしゃべっててよ、日本人は、全然元気がないんだよ。」
「どうなっちゃったんだろね。金持ちになり過ぎちゃったんだろうかねえ。」
ということで、日本の若者は散々な言われようだった。
確かに、日本の若者はお疲れだ。いくら栄養ドリンクなどを飲んだって、とてもそれで解決できるようには思われない。
だが、私の推理では、日本の若者がお疲れなのは、金持ちになり過ぎたせいではない。その本質は、自分の能力と企業の期待値とがアンマッチなせいではないだろうか。
現在の日本の企業がどれほどの規模かを考えると、それは世界に冠たる大変な規模なのだが、現実にはそれぞれの業種に非常の多くの企業が参加しており、重複した仕事が非常に多い。今日は、秋葉原のヨドバシカメラに行ってみたのだが、PC、洗濯機、テレビからヘア・ドライヤーに至るまで、それぞれ似たような製品で、ろくに差別化もされていないようなのに、実に多くの企業がそこに参入している。消費者の立場で言わせて戴けば、はっきり言って無駄である。どうして、そんなにも多くの企業が似たような商品開発をし、宣伝し、営業しなければならないのか。
思うに、こうした多数の企業がぎっしり集まって似たような仕事をする、という経済構造は、団塊世代で、似たような能力を持った大勢のサラリーマンが出現したために発生したのではないかと思う。彼らは、あまりにも大勢いたから、似たような企業を立ち上げ、似たような製品を開発し、似たような販売をしているのである。その競争が、一種の熱気となって、日本を経済成長させて来たのだろう。
そして、彼らは、若者にも同じことを期待する。しかし、例えば同じようなテレビをつくる会社が7〜8社あるとして、必要となる設計者が、設計に必要な数の7〜8倍調達できるかと言うと、それは期待できない。なぜなら、若者は絶対数が減っているし、彼らは何もテレビなんか設計しなくても、他の業界にも大勢行っているので、結局、テレビの設計者としては、十分な資質を持った者が調達できないことになり、就職した若者は、能力以上のことを期待されてしまうことになる。
かくして、歴史と伝統を持った企業に就職した者は、先輩諸氏のプレッシャーに応えきれず、休日にも疲れきった顔をしている、というのが、私の意見である。

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