6月になると株主総会を実施する企業が多く、その株主総会における議決を得るために、この時期になると総会の開催通知を発行するので、議案のひとつである役員人事案が続々発表されているところだが、日本板硝子の社長候補には、スチュアート・チェンバースという人物が指名された。
これは、2006年に同社が買収したピルキントンというガラス・メーカの社長を務めていた人物で、つまり、日本板硝子は、買収した会社の社長だった人物を自分の会社の社長にすることに決めた訳である。
これは、日本板硝子という会社が、技術はあっても世界市場できちんとした位置を確保できていなかったために、その一方、世界のマーケットに進出はしているものの、製品力で伸び悩んでいたピルキントン社と互いの強みを足し算し、いわゆるシナジー効果を発揮しようとして決めたことだ。
こういう発想が、今日のビジネスにおける正統な考え方であって、会社経営で国家とか国益というノイズにまどわされるようなのは、いただけない。世界マーケットで動いている会社を買収したのみならず、世界マーケットで働ける経営者にきちんとその場所を提供するセンスが、会社を発展させることになるだろう。
TCI社によるJパワーの買収に関しては、日本国政府が中止勧告をしたのに対し、同社はあくまで株式の購入を進めると宣言している。「国益」を理由にした政府によるマーケット支配は、マーケット自身の発展のために、極力避けられなければならない。Jパワーに関する政府の説明は、世界のマーケット参加者の誰にも納得されるようなはっきりしたものとは言えない。そこでは、単なる抽象論しか語られていなかった。
近代になりかかっていた頃のヨーロッパでは、教会と国家の対決する場が数多くあった訳だが、今ではマーケットと国家が対決する時代となっている。
マーケットは、会社がいかに利益を生み出すか、という定量的価値観を測定することによって、会社の価値を決められ、取引がなされる。それを規制するためには、その機会損失を補ってあまりある理由付けが必要になる。
マーケット至上主義は、国家至上主義同様、こっけいでもあり、危険なことでもある。ただ、今のところ、マーケットにも国家にも、それぞれ社会をより快適にする効果があるのだから、我々は大事に育てなければならない。
マーケットと国家のそれぞれが、相手を尊重し合う関係が最も望ましい。日本銀行は、国際的なマーケットの参加者であって、国家の一部ではないから、やはり日銀と財務省は、互いに尊重し合う関係にならなければならない、ということであろう。

0