岡田監督、と言っても阪神タイガースのではなく、全日本サッカーの方だが、W杯予選のバーレーン戦を1対0で落とし、「もうオシム流はやめた。」と宣言をした。
監督という稼業も政治的手腕を必要とするのであり、これは、あくまでもオシムが病を得て倒れたための「代用品」でしかなかった彼の立場をしっかり監督の位置に持ち上げるために、今回の敗戦を利用した、彼の作戦の一環であろう。もっとうがった見方をすれば、彼はW杯でこのチームを勝たせるために、わざとこの試合で負けたのかも知れない。
ともかく、ファンと国民に失望を与えることで、過去を否定し、新たな方向を作ることは、リスクを伴うものかも知れないが、事情により前任者の路線を引き継ぐだけ、というよりは遥かに優れた作戦であると思う。
要は、自分の目的がどこにあるのか、ということである。ひとつひとつの戦闘で勝ち続けたとしても、結果的に戦争に負けたら、それは無意味だ。勝負には大局観が何よりも大切であり、個々の作戦の意義は、大局に有利か不利かで決まる。
そういう大局観から見て、今年のオリンピックにどのように臨むのかは、大切な問題である。オリンピックで金メダルを何個取るか、ということ以上に、そもそもオリンピックに選手を送るべきか、送るとしても開会式には誰が出るべきか、が問われている。チベットや中国周辺諸地域で様々な「反中国」蜂起が起こり、フランスのサルコジ大統領をはじめとして、欧州各国からオリンピック反対、少なくとも開会式ボイコットの動きがある中、日本としては、どっちに転んでも必ず誰かから憎まれる展開である。
欧州の主張は、中国では「人権」が守られていない、というものだ。それなら、ジダン選手は、有名人になる前、フランスという国で人権を十分に守られていたのだろうか。どんな国でも、それが「国家」である限り、必ず人権を侵害するものである。現に日本のサラリーマンである私は、毎月税金や社会保険料という名目で、財産権を侵害され続けている。
オリンピックにおける政治問題の本質は、本当は人権問題ではなく、中国の共産党支配を積極的に支援した方が良いか、その弱点に攻撃を加えて、中国の権力構造に楔を打ち込んだ方が良いか、という中国における「政権選択」の問題であると思う。欧州が探し求めているのは、かわいそうな少数民族が救済されるかどうかではなくて、中国がどうなれば自分たちの利益になるか、ということだろう。さて、それでは日本にとって、どんな中国が望ましいのか。今、オリンピックの問題は、そうした大局観によって考えられるべきものであり、ボイコットしたら選手がかわいそうかどうか、という次元で考えられるべき問題では決してないだろう。

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