ごぶさた致しましたが、日本に帰って参りました。今回の立ち回り先は、バンコクとシンガポールで、機内読書用に持参したのは、いずれもPHP新書で、宮脇淳子「世界史のなかの満洲帝国」および田島英一「中国人、会って話せばただの人」。
タイは、戒厳令が解除されつつあり、まことに平穏無事だった。経済も表面的には困っていないので、この国にタクシン氏が再び必要なのかどうかは、伺い知れなかった。シンガポールは、異常気象で涼しい、というのが地元の声だったのだが、実は涼しいというのは気温25℃くらいのことを言うのであった。
さて、タイ族について言えば、ある人々は中国人のうちのタイ族であるし、ある人々はタイ国民である。つまり、同族でも別々の国籍を持つようになると、はたして彼等は同一民族なのか、という問題が生じる。実際、彼等は、在日韓国人と本国の韓国人とは比べ物にならないくらい長い期間を別の国民として生きて来たので、言葉(方言)からして大幅に異なるものであるらしい。では、中国に住む方が良いのか、自民族の国家に属する方が良いのか。短期間に管見しただけの自分には、それは到底分からない。
逆に考えてみる。中国人とは何なのか?宮脇氏によると「都市に住む人間が中国人である」。そして、「城内に住んだのは役人と兵士と商工業者で、かれらが中国人になった」と見る。つまり、皇帝を中心とする「中国」とは都市のネットワークであって、都市と都市の間にある農村は、いわば外部環境だったと見るのである。そうだとすると、科挙によって役人になる、戦闘能力を身に付けて軍人となる、あるいは製造業または商業を営む、というのが中国人になる正道で、彼等が、農民という下部構造の上層にいるのが、古来中国の姿だったのであろう。
しかし、民主主義が来た。マルクス・レーニン主義も来た。毛沢東は「人民の海」を味方に付けた。中国における政治権力のあり方を根本的に変えようとしたのが、中国共産党だったのだろう。しかし、ソヴィエトが単にロシア帝政を模倣しただけだったように、国家主席は皇帝の新しい名前でしかなくなり、法を実行し、軍事力を持ち、商工業を統制するだけの存在になってしまった。今だに中国農民には、主張をする場もない、というのが正しい見方であろう。
さて、中国というシステムは、どんどん拡張したのだが、しかし地球全体を覆うことはできず、四方で異質のシステムに阻まれた。タイの場合で言えば、それは上座部(小乗)仏教の力だ。支配のシステムはあっても思想を強要できない帝国は、思想の壁を超えられない。チベットも大きな壁であり、日本も西洋思想で武装されたために中国は入れず、戦争にすら負けた。ヒマラヤを越えられないのも、イスラム教やヒンズー教が壁になっているせいである。結局、圧倒的な法による強制力、軍事力、経済力は万能のようでも、そうではない。今日の中国もアメリカも、全く同じ事実に直面しているように見える。
という訳で、実は明日からは関東地方某県への出張なので、また数日間ブログはお休みである。どちらさまも、ご機嫌よろしゅう。

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