どこにニュース・バリューがあるのか良く分からないのだが、自民党を追い出した議員を今度は復党させるその手順について、詳細な報道がされていて、世論はこれに賛成とか反対とかいうデータまで出すメディアがある。
もともと議案を成立させることが政策目標であったところ、議案に反対する議員が多数いたので、衆議院を解散して総選挙した機会に、彼等の当選を妨げ、かつ議案に賛成する議員を増やすために候補者を擁立したのは、議案を成立させるという目的だけを考えれば、これ以上合理的な選択はなかった。まことに明快な政治手法である。
しかるに、その議案は既に可決され、今度はその他の政策目標を実行するにあたって、民主主義は数の世界であるから、政策目標を共有する無所属議員を取り込みに掛かるのも、数で勝たねばならない政党政治である以上、大変合理的な選択である。
時点が変われば政策目標が変わるのだから、それぞれの時点で自己の政策目標を最も有利に実現できる方法を考えるのが政党の宿命であり、それを怨念とか裏切りという人情の話にすりかえるのはフェアではない。その時、その場における利益を極大化するための発想が出来、それを実行することが出来る者を政治的人間と呼び、国会議員は政治におけるプロである以上、こういう展開となることは、いわば自明の理ではないか。
そもそも、これはそういうプロ集団の内輪の問題であり、所詮は政党内の問題に過ぎない。それを自民党員ですらない国民が関心を持ち、あれこれ論ずるなど、全く無意味だろう。節を曲げるも政治であり、筋を通すのも政治である。自分の選挙区における自分の立場、今後の政党内での自分の位置など、諸般を考慮した上で、各々が自己の利益を極大化する選択をしたに過ぎない。
勝たねばならない、と思えば勝ちに行く。朝青龍が稀勢の里を破った一番も自分はテレビで見ていたが、横綱の品格より何より、勝ちに行く時は勝ちに行かねばならないというストレートな姿勢を自分は爽快だと思った。それらしい勝ち方をいつも求められるとすれば、いかさまで偽装でもしなければならないことを考えれば、品格のない勝ち方の方がずっと分かりやすい。相撲も政治も、分かりやすいことが一番だと思うのだが。

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