卒業式には国旗に向かって起立をし、国家を斉唱しましょう、と文書を出したのが東京都教育委員会で、その対象が教師だった、というのもびっくりだが、それはよろしくないと裁判所に訴え出たところ、この文書は違憲なので、被害者である教員にはひとり当たり3万円を苦痛に対する代償として支払え、という判決が出たとは、まさに開いた口がふさがらない珍事である。
どうせ、上級審に行けば、差し戻し間違いなしのお笑い判決だが、それにしても、日本の少年たちがどうなったかよりも、日本の教師たちの方にずっと根深い問題があることが分かる。
そもそも、国旗に向かって起立をして国歌を歌いなさい、と教えるのは普通の国なら教師の仕事である。それを、教師自身がやらないで、しかもやらないことが憲法上の権利だと言う。それなら始業時間を決めて、時間通りに授業をしなさい、というのも、自由を不当に束縛される関係で違憲の可能性がある。
そもそも「君が代」が国歌であるのは、憲法に即して法律が制定していることだ。その歌詞が思想的に問題であると言っても、歌われている天皇の存在は、日本国憲法上明確に規定されていて、むしろ存在しなければ違憲状態が発生するのであり、しかもその地位は、憲法によれば、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴なのであるから、国歌の題材として、これ以上ふさわしい人物はいない。もし、それがダメと言うなら、国民栄誉賞の王監督でも国歌の題材にしたら良いのだろうか。♪今日も打とうよホームラン♪とか。
国歌も国旗も戦争を連想させるから良くない、という議論もある。しかし、たとえ国旗を見ず、国歌を歌わなくても、日本人が現に戦争をし、中国人や韓国人を差別した、という過去が消える訳では全くない。不戦の誓いをするのは自由だが、それなら軍人が忠誠を誓った同じその国旗に向かって不戦を誓うのが自然で、戦争を想起するものは見たくもない、とは、随分軟弱な平和主義だし、事実に向き合わない平和主義など、嘘っぱちであることが明白だ。戦争を思い出さないことによって平和な日本を築くことができる、なんてことがあり得るはずもない。
もしも「君が代」が認める天皇制に反対なのなら、正式に改憲運動をして、日本を共和制にすべき、と主張すべきだろう。「日の丸」が恐ろしい戦争を想起させるとしても、旗が悪かったのではなく、人間が悪かったのである。
昔から教師というのは嘘を言う稼業なのだが、こんなペテンでひとりあたり3万円も騙し取ろうなんて、随分、たちが悪過ぎる。

0