それは、あまりに小さな記事だったし、その記事が何を主張しているのかも分からないのだったが、夜回り先生講演せず、というのがそのニュースだった。
何でも宮崎で日本PTA大会だか言うものがあり、そこでは、最近「夜回り先生」として有名にもなっている水谷修氏が講演することになっていた、と言う。ところが、この講演、メイン会場だけでも3千名、それ以外にモニター画面による聴衆が合計1万名を超えるようなことになっており、先生としては、モニター画面を通しては自分の真意が伝わらないことを理由に、既に会場に来ていたにもかかわらず、講演をキャンセルして帰った、とのことである。
それだけのニュースであり、当事者にしか分からない機微ということもあるだろうが、自分の推測は、以下の通りである。(これはあくまでも個人の勝手な推測ではあるが。)
まず、この夜回り先生、希望して、昼間の一流高校から定時制高校に転勤し、生徒たちの指導がとても学校内だけではできないことを知る。そして、彼は学校が退けた後、夜の街に出ては、生徒たちに向き合い、語り合う。あからさまな無視、軽蔑、反発、暴力などに向き合いながら、彼等が最終的にはドラッグに落ちて、人生を棒に振る実態を知るようになる。彼は、個人としても夜回りを続けながら、落ちていく青少年たちの救済に体を張るのだが、一方では、そういう現実を訴え、講演も行う。彼は自分が行動し、自分が直接体験したことだけを語りつつ、おそらくは聴衆に刃物のように鋭い現実を示しているのだろう。
ところが、この1万名を集めた日本PTA大会だ。夜回り先生は、全国から人を集めるための人寄せパンダとして指名されたのではないのだろうか。聴衆は、会場(いわんやモニター会場)には出入り自由で、好きな時に好きなところだけを聴く、という全くの「お客様」として遇されていたのではないのだろうか。そして、聴衆に対しては、「夜回り先生、知ってるわよ、あの人、話つまんないわよ。でも、ひげがカッコイイかも。」と知ったかぶりをさせるのが付加価値と考えられたのではないのだろうか。
PTAの全国大会に出席し、有名人を見物し、温泉につかって楽しく地元の学校に帰って、PTA会員の皆様に報告をする。それが、教育に向き合うことだ、という確信を主催者が持っていたとすれば、夜回り先生は、その1万人が自分を待つ会場で、どれほど孤独だったであろう。自分のように、青少年の現実の悲惨さに驚き、行動を開始する何人を見出せるだろう、と思って来てみたら、1万人の物見遊山に遭遇してしまったのではないだろうか。
事実として、夜回り先生はそこを去った。後に残るのは、恐らく「何て自分勝手な男だ。有名人になったと思っていい気になっている。常識がない。等々」の解釈であろうと思う。しかし、その1万人のうちで何人かでも、自分たちにはこの男の話を聴くだけの値打ちがなかったのだ、と思うのだったら、この事件、夜回り先生の勝ちであろう。
日本PTA大会は、少なくともひとりの男から拒否を受けるに相応しい組織だった、ということは間違いないだろう。

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