昨日も今日も、テレビ、ラジオ、新聞で報道されているのが、ひとりの黒人女性の訃報である。彼女の名はローザ・パークス。享年92歳。彼女の人生については、ある日の決定的な出来事がいつも語られるだけである。
その日は、1955年12月1日。デパートのお針子をしていた彼女は、いつものようにバスに乗って帰宅しようとしていた。最初は黒人だけが乗車していたバスなのだが、ひとりの白人男性が乗り込んで来た。運転手のジェームズ・ブレイクスは、いつものように、黒人乗客たちに後部の黒人専用席に移動するように促した。早速、3人の乗客が移動する。ところが、ひとりの女性は動く気配を見せない。運転手は言った。「早く、そこをどきな。」しかし、意外なことに彼女は答える。「いやよ。動かないわ。」運転手「おい、早く立たないと警察を呼ぶぞ。」「なら、そうしたらいかが?」
彼女は逮捕され、罰金10ドルを課された。それからである。黒人たちは立ち上がった。彼女の「不当」逮捕に対して、抗議行動が始まった。5万人の黒人たちが、地元バスへの乗車拒否を始めた。様々な抗議行動が起こって不穏な雲行きとなった。そうして、この運動のリーダーとして、ひとりの地元の牧師が担ぎ出されることになるのである。彼の名は、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師。彼が、白人への抵抗によってではなく、説得を通して公民権を勝ち取って行ったことは、アメリカ史によって、誰でも知っている。
有名なキング牧師も、はじめから有名なキング牧師だったのではない。子供の頃から20世紀最大の偉人のひとりになることを目指していたのではない。それは成り行きだった。そして、彼をあのキング牧師に成長させたきっかけが、間違いなくこの女性、ローザ・パークスだった。結果として、彼女は、公民権の母と呼ばれるようになった。彼女をそうさせたのは、もちろん時代の要請だったろう。しかし、歴史は、具体的な行動とそれをもたらす勇気が無ければ進むものではない。彼女こそ歴史を動かした女性の一人である。
そして、我々にとっての教訓は、多くの歴史は、手に負えない世話の焼ける女性が作り出すもので、その場に出くわした男は、このバスの運転手ジェームズ・ブレークスのように、そういう女にうんざりするのであるが、結局は、彼自身、歴史に名を残す羽目に陥るということである。

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