最近のニュースで、上院が脚光を浴びている。民主党の議員がグダグダと演説しているのが、フィリバスターという手法だと説明されている。「スミス氏、都に行く」という古い映画があるらしくて、その映画の主人公もこれをやったのだから、自分たちがやることにも正当性がある、という奇説も出ている。映画でOKだったのだから現実でもOKだ、などと言えば、Nobuさんからお叱りを受けること請け合いである。一方の共和党では、この手法は民主主義のルールを踏みにじるものだとの批判を展開している。
民主主義というのは、武力で決着するのを避けて、議場で戦おう、というルールである。戦いである以上、勝つことを目指している。演説の本筋は説得であろうが、ルールの枠内であれば、時間切れを目指す、という別の目的で演説することも直ちに間違いとは言い切れない。それもまた、戦術には間違いないし、その証拠に、この手法にはFilibusterという名前まで付いている。元来はオランダ語であるらしいが、それがどうしてアメリカの政治用語になったかは良く知らない。
発端は連邦裁判所の裁判官の認証問題である。裁判官には自分たちの利益になるように裁判してもらいたい、というのが、動機である。三権分立だから、司法権も政治上の権力であり、立法府がその人選に文句を言う権利は極めて重要である。日本では昔、青法協という組織があって、これが共産主義者の組織だから、その会員は裁判官として任官しない、ということを最高裁が決めて、大きな問題になった。この時は、三権分立の原理は働かず、単に裁判所という巨大組織の内部統制の問題とされ、周りは花火見物のように無責任な批評をするだけだったことを思い出す。

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