「無心に仏心あり」
無心、それは心がない、という一般的解釈とは異なる。
一般的解釈を基本にすれば「人」には仏心がなく、鉱物、静物に仏心がある、もしくは、成長した大人より分別のない赤子の方が仏心があることになる。
ここでいう「心」とは何も偏見がなく、過去の体験による判断もなく、自動的に反応する感情もなく、「我、今、ここ」そのものであること以外にはないことを意味している。
そして最も希薄にすべきは「損得」という選択・評価する意識であろう。
損得を基準とする分別がなければ、おのずとその位置は「仏心」に近付くはずである。

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