【twitter】2011年5月以前
無になるとは、雑音の中では聞き取れない音があるが、早朝の静寂な時の中で遠くの微かな音が聞こえるようなものである。
思考という雑音で聞くことのできなかった、神聖な音が、智慧が聞こえてくる。
存在するというエネルギーは思考、思念などがなく静寂であれば静寂なほど強くなる。
幼児の生命力が強いのは、アアデモナイコウデモナイと様々な邪想がないためである。
だからと言ってな思考がない方が良のではなく、他者との関係性を構築し、理解し、認められ、一個の社会的存在になりえて、さらにそれを超えて無分別の分別を得、存在するというエネルギーを強めなければならない。

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