【twitter】
常に温暖で、食べ物も豊富にあり、外敵もいなければ、不安は怪我、病気、そして死くらいなものかもしれない。しかし、集落人口の増加、天候の変化、戦いなどから新たな居住地を求めることになる。その新天地を求める旅はまさに未知の世界、不安の毎日だったろう。
そのような苦難、不安な日々がDNAには深く刻まれ、具体的な障害が現れる前に防備するスイッチとしての「不安」が機能強化されてきたのだろう。この時代、この日本において、苦でもある不安が、その現れほど必要なものなのか、そのギャップを感じた方が良いのかもしれない。
「不安意識の強い日本人」これはとても厄介である反面、「必要不安」ということもできる。
数万年前からの人類大移動の歴史は多くの危険と環境適応を余儀なくされてきたわけであり、生命の保全のための対策を常に実行した者のみが生き残っている。
なぜ、人類大移動が行われたのだろうか。気候変動などに伴う食糧確保が原因かもしれない。
移動にあって寒さ・暑さ、水不足、風雨など様々な環境を知識として蓄え、前兆を知り対応するという生きていく知恵は、「不安」という予測装置がなければ発揮できない。
未知なる道に身構える姿勢こそが「不安」であり、生きていこうとする意識の現れであり、自由そのものなのだろう。

0