やるべきこと、やりたいこと、そういった思いをできる限り時短で、簡単にすまそうとしてきた。
それは、もっと自分自身がやりたいことに必要な時間を獲得しようしてきたことだ。
自由な時間の獲得ということではあるが、これは言い換えれば、行為するためのエネルギー、モチベーション、元気の獲得、すなわち存在し続けようとする現れである。
自由とは、束縛からの開放というのが一般的な定義であろうが、束縛が自分の意志の否定、エネルギー、モチベーション、元気の消失、すなわち自己という存在、個性の否定であることがその根本理由にある。
ネットで個人否定され、自殺を考える若者が多いのは、生きていく気力の消失、すなわち、自由の否定が原因となる。
愛を否定しても、自由を否定されても存在は存在し続けることができない。
存在しているということは、愛が誰かのエネルギーになっていることとイコールであり、誰かからいかされていることとイコールなのである。

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