私と彼とは違う。
私と私たちは同じである。
私と彼たちは違う。
私たちと彼たちはどこまで同じで、どこまで違うのか。
その差は単に「領域」でしかない。
私は心を言う時もあれば、身体を言う時、衣服まで、財産までその時々で、同じ「私」でも使い分けている。
「私」の重心・核を基本に、どれほど離れているのか、どれほど近いかで「私」の濃度の差はあっても、同じ「私」と解釈するのである。
であるなら、「私たち」も濃度の差はあれ、「私」の領域である。
そして、「彼」は「私たち」の中にいる。
「彼たち」と「私たち」の領域でさえ、スポーツの国際大会では「日本」を応援し、甲子園では「地元」を応援し、地域大会では「卒業校」を応援し、その領域の明確な境界などない。
都合の良い領域で「私」という表現をしているにすぎない。

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