人を裁かないことが楽化への一つの道であるが、さらには自己をも裁かないことがさらに重要である。
反省が必要であるのに対し、なぜ自己を裁くことから離れるのか。
反省は、それが反省すべき点、修正すべき点が明確になっている点で、正しく生きていくための条件となる。
しかし、「裁き」は「善悪」「損得」「苦楽」など基準に照らし合わせた分別を伴い、「あるがまま」の「基準」はそこにはない。
仮に「好ましい」評価となった場合にでも、どこかに保身が「基準」に入っているだろうし、「避けたい」評価となった場合には、罪悪感としてどこかに残されていく。
トラウマということになるのだろうが、そうなってしまっては、なかなか脱ぎ捨てることも難しい。
裁くことなく、共に生き、選ぶことなく、正しき道を歩む。

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