不動明王は、「釈迦が菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに超力で降伏したと伝えられるが、不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。」
外なる存在に対して憤怒の形相をなしてこれを正すことは、己の弱さ、愚かさをもって迷いを生ずる。
しかし、自己に対してこれを正そうとするは、内なる正しきことを知る者がこれを行うため、可能・不可能の別はあっても、これを実現できる道はある。
自律が最も困難であると言うが、律他には責任が生ずる。
どちらを容易いとするのか、それとも両者は同じとするのか。
そこに分別があること自体が「あるがまま」ではないのである。
損得がなければ、全て正しい。

0