神は時を必要とし、
仏は場を必要とする。
時は変化の器であり、
場は智恵の器である。
器があるから存在があるのであり、
存在が愛の結晶であるのなら、
存在は是である。
存在が是であるから
存在を否定するものは非である。
であるのなら、なぜ存在は存在たりえるのか。
形而上的な目的、理由がそこにはある。
非の存在も神の結晶であるはずであり、
神がなぜ非をも産み出してしまったのか。
愛は非愛とともに存在している。
それはプラス・マイナス・ゼロである。
偏在が新たな偏在を生み出す。
非愛とともにある愛を生み出した目的・理由とは何なのか。
神がなぜ、愛という偏在を起こしたのか。
胎内の異常を恣意的に起こすようなものだ。
赤子を産むための苦しみをあえて背負うようなものだ。
自我、それは神から独立した、全体から孤立した意識だ。
愛は進化と深化を促し、その現れが人へと至る。
愛は非愛とともに、人を生み出した。
人が、その目的、理由の答えとなる存在だ。
争い、競い合い、生き残ろうとする「人」は何を見出したというのだろうか。
それは探求する能力
それは分析する能力
それは創造する能力
神になりかわり、目的、理由を問い、答えを見出す者
創造する神がなぜあるのか。
完全であれば神はない。
不完全であるがゆえに、神はある。
不完全な神が人へと至る。
完全なる「神」に創造はない。
完全が偏在を産むことはない。
完全という全体から部分が発生し、
神があるようになる。
極めて希薄な人格の始まり
人格と表するほどの不純さのない人格の種
その人格の種は不完全、部分であることから産まれる。
完全なる全体という形而上的な何かがあることを見出すための旅
それが創造という神、愛という神の現れであり、人の目的である。
完全なる存在を知った神。
手段であった人に至る進化と深化を達成した神。
その神の胎内で人は何を思うのか。
愛と非愛、善と悪、明と暗
それらを内在する人の行く道は何なのか。
神の胎内にあって神へと融合し、消滅するか。
それとも孤独な人としての存在を維持し続けるのか。
それは、陰であるはずの肉体を実存として認め続けることでもある。
結晶化した人が、結晶として固定化するのか。
結晶が再び濃度へと帰っていくのか。
それを決めるのは、結晶としての意志力。
無我から自我を持ち、そして
超自我に気付くのも
自我から脱し得ないのも
自我すら持ち得ないのも
自らの意志力に頼るのみ。

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