無駄は消滅すべき悪しきものなのだろうか。
無駄を省くと、なぜか我が方に回ってくる分が多くなるような気がしているのだろう。
無駄は新たな糧を得る資源であり、文化である。
削りきった、剃り落し過ぎた残りには弱々しさしか生まれない。
「全て」ではない、しかしすべてに無駄をそぎ落とすことが「良」であるというのは、視聴率を取りたい者の言いなりなのではないか。
適正な無駄、適正な節制、適正な消費
これらのバランスが崩壊すれば、当然苦しくなり、誰かのせいにしたくなる。
しかし、本当に「誰かのせい」なのか。
平常心、かつてのものとは違うかもしれないが、未来に惑うことなく、過去を引きずることもなく、一方的な言葉を真に受けず、その心根で生きたいものだ。

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