悟りを我がものとするためには、圧倒的な、劇的な、奇跡的な意識の跳躍が必要である。
「未知なる領域を知る」ことに意味があるのではなく、「知る」ことにより得られる絶対的格差に意味があるのである。
「悟り」とは驚きであり、天変地異であり、すぐにそれとわかってしまう不思議な出来事である。
さらに言うなれば、「悟り」は始まりであるということである。
その後にわいてくる、信じられないほど圧倒的な、気を抜けば倒されそうな勢いの智慧の津波に耐えなければならない。
「悟り」は言うなればダムに亀裂が生じ、一筋の水脈が発生した、崩れるはずのない堅固なダムへの印象を裏切られた瞬間でしかない。
ダムが崩壊を開始し、それまでの人生の経験を大きく跳躍する智慧に気付くのを乗り越え始める、そのタイミングが「悟り」である。
そして、この世界でまともに生きていけるだろうか、そういった絶望的な不安感の中にも、「理解できる」という喜びのバランスの中で時を過ごすことになる。
そうしていうるうちに、「人格に付加された深み」という再び現世に安心して戻っていく時を迎えることになる。
身体の変化、思考方法の変化、用心深さと楽天性、直観的対応など得られる変化もあるのだが、それらはさしたることもない。

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