さて、未来とはいつから先を未来と言うのだろうか。
刹那の一瞬の次なる時を未来と呼ぶのだろうか。
また、過去とは刹那の一瞬の前なる時をいうのだろうか。
しかし、過去と未来が同時に存在しなければ、美しい調べを聴くことも、妙なる言葉の響きを読むこともできない。
記憶と想像を同時に味わう今という「幅」がなければならない。
今とは実は「過去」と「未来」の一部を含む「時の幅」を持つある長さのことをいうのかもしれない。
さらには、聴覚、味覚、視覚などの感覚を察知した瞬間が「今」なのではなく、「感受器官」から「脳」へと伝わる「時の幅」後に「今」を感じるのであるから、「今」はすでに「過去」である。
また、実在がこの物理的な空間だけではなく、魂の先行する精神的な空間があるとすれば、精神的な変化が物理的な変化を誘発するという意味で、「今」はさらに「未来」へ移行した位置にあるのかもしれない。
人は何かを話そうとするとき、頭の中で言葉にして口で表現するのだが、実は頭の中で言葉になる前の言葉の種のような、色やリズムなどかで単純に表現されたものを気付かずとも頭の中に誕生させていることを考えても、今は常識的には過去の出来事なのである。
「今」とは感覚的に「今」なのであり、科学的には「過去」なのである。
脳で感じたその刹那を「今」と呼ぶのであれば、科学的には変化の生じている刹那は「未来」である。

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