存在とは言うなれば神という母胎に映し出されたものであり、母胎そのものが変化したわけではない。
これを私は液晶に映し出された映像であると言う。
液晶そのものが移動し、変化し、生滅するわけではなく、映像がそこに映し出されるだけというのに似ている。
意志を持つにいたった立体映像という表現が正しいかもしれない。
神がしたのは、胎内にそのような映像を映し出すことができるシステムを創ったことである。
2012年にある種のシグナルがあると言われている。
それが何なのか、恐怖を振りまいている者もいる。
2012年に何かあることには違いない。
それは2011年にも何かあるだろうし、これまでもその年に何かはあったのと同じように何かがある。
大小、強弱、高低の差はあるだろうが、その程度のことである。
必要なのは、いついかなる時も生き切る覚悟を持って生き抜くということであり、環境の変化よりも自己の意志の問題である。
そして、存在の選択が結果的に共生することのできない不調和な異端であるとすれば、それは自らが自らを神と融合していく選択を実行するというだけのこと。

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