1月1日をこの日に選択したのはなぜか。
季節的特徴点をとらえれば夏至、冬至、春分、秋分などが選択されても良かったはずであろう。
Webで調べてみれば、実は「古代ローマでは春分のあるマルチウス(マーチ、すなわち現行の3月) が一年の始まりだった。しかし、政治年度は新年の2ヶ月前から始まる慣習であり、ユリウス・カエサルがマルチウスの2ヶ月前にあたるヤヌアリウス(ジャヌアリー、すなわち現行の1月)を一年の始まりと定めた (ユリウス暦)。」
とすれば「春」が年の始まり、すべてが新しい生命で満たされる時期を選択し、この新しい年の準備のための期間を含めて「始まり」としたということになる。
北半球においては、暗く、厳しい悪魔の寒さが溶け、神の温かさが勝るのを心待ちにしたのだろう。
今となっては機械的とも思える季節であるが、神の恵みと考えれば、それはとても感謝に値することなのである。
数度の温度差が異常気象を生むのであるから、季節の温度差は奇跡なのである。

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