死後などないと思うのなら、死を経験することなどできないのであるから、死をことさら恐れる必要はない。
死後があり、自己が継続すると思うのなら、死は単なる物質が自己の思いとおりに動かず、腐っていくというだけで、自己は継続しているのであるから、死をことさら恐れる必要はない。
他の死を目の前にしながら、感じていないはずの死体を生きている自己の身体に置き換えるから死は恐ろしい。
今ある豊かな自己の生の履歴が死によって突然消滅するから死は恐ろしい。
他を傷つけた思い、反省から抜け切れず、地獄へと向かうはずであることが恐ろしい。
死は休息であり、天国への切符である。
罪悪感、この世への未練・怒り・恨みに執着する意思が、この世に自己を残し、自己催眠をかけ、地獄となる。
それらがなければ、全ては天国へ行く。
そして、天国へ行くということは、苦の続く生を再び味わうことになる。
じつは、生の目的は、精神の死とも思える全体への融合である。

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