鳥インフルエンザを恐れていると豚インフルエンザが攻めてくる。
人々は恐怖に顔をひきつらせているかと思えば、いたって冷静である。
死は対岸の火事であり、人ごとである。
確率からすれば、まだまだ「ない」に等しいくらいにしか我が身を襲わない。
楽はそう簡単に想像できずに、苦であればいたって簡単に想像でき、まだ来ぬ苦に右往左往する。
しかし、地位、名誉、富以外の苦に対しては、経験がないためか緊迫感はない。
生き地獄のような空虚な生に恐怖をいだき、死を伴うかもしれない確率的に予測する出来事には無抵抗である。
貧困と死のどちらかを選択しろと言われば、きっと死を選択するのだろう。
貧困の中にあっても。貧困の継続と死であれば、やはり死を選択することになるのかもしれない。
貧困からの脱出と死であれば、当然のことながら脱出であろう。
しかし、貧困には多くの段階があるのに対し、死はただただそれだけである。
貧困は富の地位からの貧困であり、総体的である。
富はさらなる富の地位からは貧困に見える。
そんなことに必要以上の労力を使うのは、生を無駄にしていることなのかもしれない。
いや、死よりも生を恐れているだけのことなのである。

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