正しく生きることの意味を求める者がいる。
現実世界においての「正」の意味は十分に理解されてはいるが、宇宙的歴史の方向性として人が正しく生きることの意味を求めているのである。
前世・今世・来世、過去・現在・未来、流れの中で過去の業が影響しているとしても、そこが苦であることの個的な影響はあっても、宇宙的歴史には影響しないのではないかという疑問でもある。
まして、「生」の意義は何なのか、という問いは、「生」の目的をも問うている。
「なぜ私の生があるのか」という問いは、まったく宇宙の問いでもあるのだ。
そこから創造神が宇宙を孕んだのである。
我が胎内にその「問い」に答える存在を育てる種を創造したのである。
神の胎内にありながら、神を離れ、個としての強い意志を持ち、神と対峙できる可能性を秘めた存在を保有するための種を撒いたのである。
そして、今、その神の問いに答える者が現れた。
これよりは、60兆もの正しく「生き」て「死ん」で総体を支えている人の細胞のように、神の胎内でこれを正しく刻んでいくことである。
さもなければ、神と離れたがん細胞が過度に増殖したのをがん細胞自体が破滅させていくことになるだろう。
もろ刃の刃である存在群がいつまでも許されることはない。

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