1995年ゴールデウイーク、儀父母と我が4人家族は伊勢に初めて出かけた。
誰が伊勢行きを決めたわけでもなく、なんとなく決まった伊勢であった。
私は4月16日に大悟していたが、伊勢行きの目的など何もなかった。
花粉症がひどい外宮をうれしそうに、ハイな気分で小走りにしていた私がいた。
これ以上エエルギーを内宮もらったらどうなってしまうのか、心配になっている自分もいた。
内宮ではエネルギーではなく、浄化された気分になり、ホッとし、ありがたかったのを覚えている。
今年は3月中旬過ぎから伊勢へ再び行きたくなり、金曜日会社を休んで、1泊2日の伊勢参りに出かけた。
今回は妻と2人である。
精神的にも肉体的にも、環境的にも何かと暗さが漂い続けたこの3年であり、占いでは全て昨年明けから好調のはずであったし、白山ひめ神社でもおみくじはこれ以上ない何でもかなうという大吉であった。
占いを信用して気分的に自分自身を盛り上げたいということなのだが、それでもやはり周囲の人がわかるほど、背中は暗かったようだ。
今ではそれは解消されたようであるが・・・。
精神的に最もまいっていた時期には仏壇の前でうなだれてしまい座禅が組めなかったくらいである。
こうした一切を転換するために、伊勢へ行ったのである。
外宮ではエネルギーに満たされるのではなく、なぜかしら濃厚なやさしい空気に出会えた。
内宮では正宮前に立った時に何というものかは知らないけれど、白い布が風でこちらになびき、正宮を風が見せてくれた。姿は見えないけれど、アクションを起こしてくれたのだろうという感じだろうか。確かに願いは聞き入れたと・・・。
横からはいつでも見えるのだが・・・。
次の日、土産を買うために旅館から再び内宮を目指した。
ナビゲーションをセットすると、車1台がようやく通れるような、崩れてしまいそうな山道を通ることになった。
私地震山道を走るのはなぜか好きなので、助手席に座る妻のこわばった感じとは違い、私はどことなく興奮気味である。
自分ではどこを走っているのかさっぱりわからなかったが、五十鈴川らしき川が右側を流れているかと思ったら、突然視界が開け、内宮の大規模駐車場に突然出た。
金曜日の静けさと(朝8時前に外宮、8時半頃内宮だったので)とは打って変わって地元銀行の参拝、観光客と重なり、正宮前には立ったが、流されるような感じであった。

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