花崗岩に圧力が加わるとマイナスイオンを発生させ、これにより地震雲ができたり、動物達が異常を認知すると考えられている。
私の場合も地震と関係しているのであれば、マイナスイオンが生きる力を衰えさせ、疲労とも違う脱力感とマイナス思考を生み出したということになる。
マイナスイオンは匂いを吸引させる効果があるとして空気清浄機などで使用されている。
存在はその「ある」への執着で、より確固なるものへ大きく、硬く、強くなっていこうとする。
マイナスイオンはこの効果により吸引効果を発揮するのであるが、他の存在そのものからも何かを吸引しようとしているのかもしれない。
空気清浄機ほどの規模であるなら何も問題はないのだが、地震といった大地の事件では、その規模がとてつもなく大きいため、単位あたりが微弱であっても、これを浴びてしまっては自己が失われていく。
一般に人間がその寿命を全うして人生の幕を迎える場合、その死の瞬間は干潮であるという。
これは地球の引力の最も強く働く月の影響が最も小さい時に海面を下げるのであるが、これもマイナスイオンと同様に生エネルギーを奪い取る性質があるのかもしれない。
しかし、地震の影響で生エネルギーが減少するという特殊な感覚、敏感であるということはどういうことなのであろうか。
私の私自身でいようとする執着心、言い換えれば情報量が希薄な純粋核が雑音を溜め込んでいるということなのだろうか。
それとも、雑音が極めて少ない状況にあって、これ自体を吸引されてしまうということなのだろうか。

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