仏教で十善戒とは不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不貪欲、不瞋恚、不邪見をいい、悪しき思いをしないことが「善」であるという。
十の善きことを示すのではなく、十の悪しきことをしないことを示す。
これは現実世界での体験を通して積み重なっている垢のような思いを放棄することであり、「不」とは「無」を意味しているのであろう。
「不邪見」とは「よこしまな考えをしない」ということではなく、「よこしまな考えがない」ということなのである。
赤子のような何も知らない、無垢な存在に「邪見」などといういらぬ技はない。
「不知」から「知」となり、そして「無知」となっていく流れが我が物となれば、それはすばらしいことなのだろう。
「覚者は法に従う、されど法に従うは覚者にあらず。」とはこれを指す。
否定は「戒」であるとともに「悪」が残されているが、なければ「あるがまま」である。

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