「親」は「子」があってはじめて「親」と定義される。
「子」は「親」がいなくても、誰かの「子」であることには違いない。
悲惨な殺人、悪意のない殺人、先を読まない殺人。
昔から殺人事件は多く発生し、知人の妹も一人暮らしのアパートで隣人に殺されてしまったほど、それほど遠くの事件ではないことはわかっている。
しかし、それでも最近の殺人にはとても悲しみを覚える。
なぜか、目的を持って計画的に実行された殺人とは違い、命が軽くなってしまったようである。
「子殺し」、その大半が「子の将来」を考えて、「子の暴力に耐えかねて」の殺人だったのが、パチンコ店の車に置き去り、殺人の意図なく殺してしまう。
「子」への愛情が希薄化している殺人であろう。
「親殺し」、その大半は「親の子に対する期待への反発」の殺人だったのが、「親に嘘がばれる」ことに対する恐れから殺してしまう。
そんな単純ではないのだろうが、「精神的な自己への束縛から解放される」ことのみが強調され、コミュニケーション不足、孤独化が進行している。
このまま究極の「自由の世界」になってしまうことはないとは思うが、「愛」を取り戻してもらいたい。

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