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脳死や尊厳死などの医療倫理、さらには一般道徳には思考を超えた絶対的基準により近い判断根拠がなければ、人は罪悪感を脱する判断をすることができない。 植物人間であろうが、体温があるうちは「生」と思いたい家族の感覚があり、早く楽にしてあげたいという感覚もある。
何かにすがるしか、人は理由なき正統性を貫くことはできない。
殺人のあいまいな境界線上の該当性の是非を判断することなどできやしない。
いや、理由をこじつける以外には、多くのことがらを選択することはできないのだ。
自由な判断と勘違いしている大きな不自由さ。
それが我々という範囲での基準なのか、テレビの中のもっともらしい論評なのか、歴史としての常識なのか、何時の間にか自分自身の基準と思ってしまっている不自由さ。
根源は、神への畏怖、絶対的善への服従が生み出した錯覚である。
全く目覚めた者でしか、真なる基準を持ち合わせてはいない。

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