2003年、ブルーズが生まれて100周年(本当か?)を記念しての、マーティン・スコシージ製作総指揮による、ブルーズ映画プロジェクトのうちの一作である。
この映画は、英国におけるブルーズの影響を探るため、40年代から60年代を良く知る当事者たちのインタビューやセッションによって構成されている。目玉はジェフ・ベック、トム・ジョーンズ、ヴァン・モリソンらによるスタジオ・ライブ・パフォーマンスだろう。
しかし、ここ数年60年代のUKビートにはまっている自分にとって、最も興味深かったのは、当時を知る重要なミュージシャン他「生き証人」達のインタビューだ。
珍しく雄弁なエリック・クラプトン、今ではカントリー・ギタリストとして名高いアルバート・リー、最近亡くなった英国アコースティック・ソロ・ギタリストの祖、デイヴィー・グレアム、アニマルズ〜ウォーのエリック・バードン、この直後になくなったとは信じられない程元気なスキッフル・ブームの立役者、ロニー・ドネガン、他多数の「生き証人」達が、当時を振り返る。
さて、自分にとっては、「何故、英国でブルーズが広がったのか?何故そんなに若者の心を掴んだのか?何故英国なのか?」というあたりが気になるところだった。そこでこの映画をあらためて見直してみたのだが、結局疑問は深まるばかりである。
1. ロニー・ドネガンのヒット、「ロック・アラウンド・ザ・ライン」のオリジナルはレッドベリーだったから。
2. フラミンゴ・クラブには米兵たちが週末によく訪れ、彼らのためにブルーズやR&B、ジャズなどが、しばしば演奏されたから。
3. 米国に行った船乗り達が土産に買ってきたのは、ブルーズのレコードだったから。
4. 在欧米兵向けのラジオが聞けたから。
それぞれの証言は興味深く、説得力もあるものなのだが、それでも「何故、50年代の英国で、これほどまでにブルーズにのめりこむ若者が多かったのか?」という疑問を解消するには不十分なのである。
50年代のスキッフル・ブームで、洗濯板、バンジョー、茶箱ベースにギターといった、貧乏な英国の中高生でもバンドが出来るというところから始まり、そのルーツに遡ったのだとか、ロックン・ロールのスターであるエディ・コクランらの「何々ブルーズ」といった曲名がきっかけだったのだとか、近いところを突いているのは分かるのだが、今ひとつ核心からはずれている気がするのである。
それでブームになるのなら、日本だって昔から「何々ブルース」といったヒットがあったにも関わらず、本格的なブルーズが聴かれるようになったのは、おそらく70年以降である。それも英国のビート・グループ〜クリーム〜フリートウッド・マックなどを経由してオリジナルに辿り着いたのだと思う。
英国においては、プレスリー=ロックン・ロール〜チャック・ベリー〜ファッツ・ドミノ〜BBキングと人々の興味が向かううちに、ブルーズ=ヒップな音楽として若者の心を掴んでいったようであるが、それでも何かが欠けている。
さて、疑問は解消されなかったのだが、この映画を見ていて思ったのは、結局我が英国のスター達も自分とたいして変わらないではないか、ということだった。
黒人に憧れ、いかに本物に近づけるか、どうやったら本物の音になるのか、というところに執着し、切磋琢磨し、また試行錯誤を重ねてきたということだ。
微笑ましいエピソードがいくつか語られているが、ミック・フリートウッドが「はじめての米国レコーディングで現地のミュージシャンらに“何や、こんなイギリスの若造らが。”とナメられていたのが、いざ音を出すと、みんなの態度が変わった。」と語る場面や、クリス・ファーロウが、アメリカでは黒人と思われていたと誇らしげに回想するシーンは、「なんだ、こいつらもコンプレックスの塊ではないか!」と思わず嬉しくなってしまう。
そう、英国人も日本人と大して変わらないのだ。彼らも、本物に近づこうと四苦八苦し、自分たち憧れのスターに褒められた日には有頂天だったのだ。その後、ポップ・グループに転身し、全米チャートを制覇したフリートウッド・マックのリーダーであるミック・フリートウッドでさえ、当時「本物の」黒人ミュージシャンに褒められたことを嬉しそうに語るシーンがそれを物語る。
蛇足ながら、字幕でいくつか気になった点があった。ジョージー・フェイムがマディ・ウォーターズのバックを務めた時、不慣れなF#やBといったキーばかりでうまく弾けず、後にマディに会った時ににそのことを伝えると、”Shit! You should told me. I would move the capo!(なんや!言うてくれたらカポをずらしたのに…)”という箇所が、「言ってくれたらキーを変えたのに。」と訳されていたり、またジョン・メイオールがマンチェスターから週末にロンドンにやって来ては、フラミンゴ・クラブの辺りをうろつき、”sit in(セッションに加わる)”が「座り込んだ」となっていたところである(これらは、いくら音楽通で語学堪能だったとしても、ミュージシャン、ギタリストでなければ知らない語彙なので、それを指摘するのは酷というものか)。

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