梅雨は苦手だ。今日のように気温も下がればまだましだが、それでもくせ毛の自分は気分が落ち込む。目覚めのシャンプー〜ドライヤーでセットしても髪の毛は暴れまくり、「寝癖」と間違われるくらいである。
ところで、梅雨といえば気になるのが「臭い」である。エアコン・フィルターのカビ臭、部屋干しシャツの雑巾のような臭い、他人の体臭などである。
ギター・クラフトでの笑い話にこんなものがある。
2ヶ月間の長期にわたるコース中盤にさしかかったある日、訪問者がやってきた。顔見知りを見つけたのでハグしようとしたが顔をしかめた。臭いのだ。しかし臭いのは彼一人ではなかった。会う者会う者皆臭い。驚きのあまり彼はこう言った。「一体君たちはこの数週間、何を食べて生活していたのだ。」
ギター・クラフト・コースでの食事は菜食メニューなので、長期コースになるとレシピに困ることがある。限られた予算でボリュームを出すために、ニンニクや玉ねぎが大量に使われることもしばしばである。コース参加者は同じものを食べているので気付かないが、外部からの訪問者はあまりの臭さに仰天したというわけだ。
そういえば子供の頃、「欧米人は体臭が強い」という「迷信」を聞いた。さらには「欧米人は風呂に入らないから臭い」とか、「体臭をごまかすために香水が発達した」という「ヴァリエーション」もあった。
しかし、風呂に入らないというのはあてはまらない。あるドイツ人は頻繁にシャワーを浴びていた。目覚めのシャワー、昼の散歩から戻ってまたシャワー、さらにベッドに入る前にまたシャワーという具合である。
自分は昔、友人から体臭が強いと言われたこともあれば逆の場合もあった。面白いことに体臭が強いと思っていた友人に限って「お前は体臭が強い」と言ったのだ。そして彼が言う体臭の強い人間は自分が思う人間とは全く食い違っていた。
皆それぞれ体臭を持っているが、自分とは違うタイプの体臭を臭いと思ったり、いい臭いだと思ったりするようだ。
少し前の話だが、腋臭は元々、異性を惹き付けるために発するものだったというニュースを読んだ。現代では嫌われる腋臭も元来そういうものだったのだ。
腋臭も厳しいが、最近は加齢臭の方がもっと厳しい。子供の頃はさほど臭いと思わなかったのに、
30代半ばを超えて以降、不快感を覚えるようになった。もしかすると自分ももうすぐですよという恐怖から過剰に反応するようになったのだろうか。
そういえば、腋臭+加齢臭を放つツワモノにはいまだ出会ったことがない。この二つは共存できないのだろう。
ということは、腋臭が異性に対し「準備OK」というメッセージを送っているならば、加齢臭は「こっちへ来ないで下さい、もう上がりました。」というサインに違いない。

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