今、大阪には昔ながらのライブハウスが皆無である。
ライブハウスとは和製英語だが、ライブミュージック(生演奏)の聴けるコーヒーハウス(喫茶店)が語源だったと記憶している。
バンドを始めた高校生の頃、ライブハウスは憧れの存在だった。いわばアマチュアとプロの橋渡し的な存在だったのだ。バンドが出演することにより、音楽に飢えた若い客が集まり、その対価として、飲食代に上乗せしてチャージを支払うシステムである。その当時、チャージはせいぜい400円から1000円程度のものだった。そしてそれは基本的に100%バンドの取り分だったのである。店は飲食代で儲けるのが当たり前だった。ライブハウスは経営方針に適ったバンドを出演させるのが常だった。
その為オーディションがあり、音楽性、技量、ステージング、オリジナリティなど厳しく審査されたものである。
つまり当時はこういう公式が当てはまった。
良い音楽を安いチャージで聴けて客は喜ぶ
バンドを出演させることにより集客がアップして店も喜ぶ
パフォーマンスに専念でき、且つギャラも良くバンドも喜ぶ
ごく健全な三者依存関係だったのである。
それがいつの頃からか変化が起こってしまった。客さえ呼べばパフォーマンスの質は問わないというやり方である。音楽がしょぼくても、身内客を大勢連れてくるバンドを出演させれば、経営は安泰というわけである。
それからというもの、全てのライブハウスのレンタルホール化が始まった。どんなに内容が良くても、動員の伴なわないバンドはノルマを課せられた。店は集客努力を怠り、責任は全てバンドに転嫁するようになった。
結果こういうことが起こった:
ショボイが身内を大勢呼ぶバンドが出演
一般客は、下らないバンドを入れて高いチャージを取る店を敬遠
どこでやっても身内客しか集まらないパーティー状態でバンドは苦しくなる
何度か繰り返すうちにバンドも客が呼べず店も苦しくなる
昔はいかに客を集めるかというのが店の課題だったが、レンタルホールと化した今では、いかにバンドを集めるかというのが命綱のようだ。つまり、良い機材を揃えて「こんなハコでライブをやりたい。」とバンドに思わせるのが最大の経営戦略なのである。カラオケボックスと大差はない。
こんなやり方なら、当面リスクを負わないかもしれないが、より良い設備の新しいスペースができる度に淘汰されていく。そして良い音楽も、良い耳を持ったリスナーも育てることはないだろう

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