2月25日、86歳にして亡くなった俳人・飯田龍太に詳しくはないが、今朝の朝刊に載った宇多喜代子の追悼の一文はよかった。関係を誇示するのでもなく、儀礼的賞賛を避け、俳句の中にあっても決して近い距離にあったわけではないとしながら
「飯田龍太の俳句には品性があり、随筆や鑑賞文などのいずれもが独特の格で屹立している。飯田龍太という人の濁りのないたたずまいが、その根っこに不動の強みとして生きていたからだと思う。
ひといつかうしろを忘れ小六月 龍太
『うしろ』とは何か。これは、さまざまなかたちで私に課題を投げかける。遠い祖先か。故国の山河か。わが来し方か。背中のボタンが外れたしどけない格好に思われることだってある。
隠遁者でも死者でもない敬愛する先行者に『うしろ』を見られていると感じるときの姿勢を正す思い、そんな深い思念をよみがえらせるように飯田龍太は此岸から去った。」

0